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2013-08-07

今月の映画 「モンスターズ・ユニバーシティ」


幼い頃から怖がらせ屋になることを夢見ていたマイクは、努力の果てに難関を突破し、
モンスターズ・ユニバーシティ怖がらせ学部に入学。
誰よりも努力を重ねるが、怖がらせ屋になるには、
見た目がかわいすぎるという致命的な欠点に悩まされる日々を送る。
ある時、マイクは、名家の出身で怖がらせの才能にあふれたサリーと出会う。
マイクはサリーをライバル視するが、自信に充ち溢れたサリーはマイクを見向きもしない。
そんな二人はある事件から怖がらせ学部から除名されてしまう。
しかし、夢をあきらめないマイクは、「最恐の怖がらせ屋」を決める
怖がらせ大会に落ちこぼれたちを組織して出場し汚名を挽回しようとする・・・・。





幼い頃から怖がらせ屋に憧れていたマイクは、努力を経て
モンスターズ・ユニバーシティ怖がらせ学部に無事に入学する。
日本でいうなら、医者か弁護士を目指して東大にはいるような感じかな?
(ん?ちょっと違う?)


けれども外見がかわいすぎるマイクは、そもそも適性がない。
いくら努力しても努力しても、どれだけ知識を詰め込んでも勉強しても
彼がなれないことは傍目にも明らかだ。


けれども彼はそれがわからない。
わからないから無駄な努力で絶望する。
家柄にも血筋にも恵まれたサリーを敵視する。




頑張れば必ず報われるというのは、
とても甘い幻想だし実現すれば素敵なことだけれど
残念ながら現実はそうとは限らない。


じゃあ、努力は無駄なのか?といえば、それも違うと思う。
努力は尊い。実行する意思はそれだけですばらしい。


問題なのはどこに向かうか、なのだ。


例えばモデルになりたくて身長が足りなければ確かに絶望的だ。
けれどももし目的が綺麗な服を着てスポットライトを浴びることならば
モデルにこだわる必要もない。
簡単か難しいかは別にして、アイドルを目指せばいい。
服に関わりたいのが望みならば、デザイナーを目指せばいい。
モデルという肩書きにこだわるなら、パーツモデルという手もある。



こうでなければいけないと思う気持ちは、自分も他人も不幸にする。
それは自分しか見ていないことと同義だからだ。



サリーの心配も思いやりもわからずに。




前作と異なり、この作品ではマイクが主人公だ。
そして前作を見た人なら、マイクが怖がらせ屋にならなかったことも知っている。



では彼は夢破れて不幸なのだろうか。




彼は努力して評価を見事覆し、親友と仲間と信頼を手に入れた。
今では相棒サリーと共にモンスターズインクきっての最強ペアだ。



若さゆえの挫折は希望への第一歩だ。
はなからあきらめて何もしないことに比べるべくもない。
何が答えかなのは、作品を見た人なら誰でもわかるに違いない。





なお、毎回、ピクサー作の短編が同時に上映されるが、
今回の短編「ブルー・アンブレラ」はとても素敵だった。
好きな人と見たら、きっとカフェで話をしたくなる。


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2013-04-18

今月の映画 「ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮」

精神を病んだデンマーク国王クリスチャン7世の侍医となったストルーエンセは、
王の唯一の理解者となり、友人として親交を深めていく。
一方、孤独な王妃カロリーネもストルーエンセに心ひかれ、2人は恋仲になる。
啓蒙主義に傾倒するストルーエンセはやがて王の言動を操り、事実上の摂政として政治改革を進めていく。
一度は成功したかに見えた改革は、しかしそれを快く思わない貴族たちの陰謀に巻き込まれ・・・・




事実と真実は違う。
わかっているようで意外と混同されがちなことだ。

一方から見れば悪であっても、それが本当に悪であったのか
それとも美しくも愚かな信念から派生した善だったのかは
結果としての「事実」からはけしてわかることはない。

ちまたにあふれる歴史の解釈はあくまで全て「if」だ。
だからこそ答えはなく、永遠の興味をかきたてる。



ヨハン・フリードリヒ・(フォン・)ストルーエンセ(Johann Friedrich (von) Struensee。
デンマークの国王クリスチャン7世の侍医として君臨し、
事実上の摂政として政治を操ったと言われる人物。
デンマークでは教科書にも出るほどの有名な人物らしいが、
どちらかというと王に取り入り、王妃を堕落させ、
反対派にとらえられた後は自分の保身のみに走った人物として、
あまりいい印象に描かれることはないと聞く。


日本の歴史でいうと、田沼意次か井伊直弼というところだろうか。



しかし、この作品の中のストルーエンセは、むしろ控えめで冷静で理想に溢れ、
ただ自分の信じる正義と周りの幼さに巻き込まれた不幸な男性として描かれる。
この映画でストルーエンセを初めて知った人は確実に彼を悲劇のヒーローとして見るだろう。
彼と抜き差しならない関係に陥る王妃も、むしろ国民に人気のあった国王を裏切った
(さらには王を虐待していたという説もあるらしい)悪女として知られるそうだが、
やはりこの映画の中では孤独の中で静かにたたずむ薄倖の女性として描かれている。



キャスティングは素晴らしい。
”デンマークの至宝”マッツ・ミケルセンはさすがの一言で(007の悪役もよかったが)、
善人で大人である故に運命に翻弄されるストルーエンセを静かな色気で演じているかと思えば、
王妃役のアリシア・ヴィキャンデルも瑞々しい少女時代から母の強さまで気高く美しく演じている。
弱く悲しい国王クリスチャン7世を演じたミケル・ボー・フォルスガールも
映画初出演とは思えない痛々しさで演じ、確実にこの三人のすべてが主役であり
誰が欠けても成立しなかっただろう。
さらには、これもデンマークを代表する女優トリーネ・ディアホルムがさすがの目力で狡猾な皇后を演じており、
人物の力による説得力がさらに物語の説得力を高めていたと思う。



物語はあくまで史実でありわかりきった結末であるにも関わらず、
歴史ものにありがちな暗さもなく、美しい自然ときらびやかな宮廷を無理なく共存させ、
けれども考えさせられる部分もきちんと盛りこみ、130分という長時間も飽きさせない。
歴史ものとしてもラブストーリーとしてもとらえることのできる、
なかなかの良作ではないだろうか。





ストルーエンセは本当に悪人だったのか、
それとも理想と愛に目を曇らせ足元を見誤っただけの愚かな善人だったのか。
結果として彼は断首された罪人として、王を操り栄華ほしいままにした悪人として名を残したが、
面白いことに彼が実行した改革は時を経て後世でまた返り咲いているのだ。



クリスチャン7世は、ストルーエンセ処刑の3年後、
1775年に描いた絵にこのように書いたらしい。

 "jeg havde gerne reddet dem begge to"
(2人とも助命できればよかったのに)。


王妃も最後まで彼をかばい、嘆願書を書いたとの記録があるらしい。
本当に利用されただけの人物が本当にそこまで思ったりするのだろうか。


それは、その場、その時間軸の中にいた人間でなければ永遠にわからないことだけど。



こちらはデンマークのポスター。
素敵ですね。


2013-02-16

今月の映画 「東京家族」


瀬戸内海の小さな島で生活している平山周吉と妻のとみこは、
子供たちに会うために東京にやって来た。
二人は個人病院を開く長男・幸一の家を訪れる。美容院を営む長女・滋子、
舞台美術の仕事に携わる次男・昌次が集い、家族揃って食卓を囲むも束の間、
忙しい日々を送る彼らは両親の面倒を見るのをだんだん嫌がるようになる。
両親をホテルに宿泊させようとする。
周吉は寂しさを覚え、やめていた酒を飲んで騒動を起こしてしまう。
そんな中、昌次のアパートを訪れていたとみこがご機嫌で帰ってくるが、直後・・・・。



小津安二郎の名作『東京物語』をモチーフに、
設定などを現代に置き換えて家族の絆を描いた作品。
橋爪功、吉行和子といった大ベテランに、
妻夫木聡や蒼井優という若手トップまで、巧みで贅沢なキャストも相まって、
現代ならではの良作に仕上がっている。


たぶん、これが嫌いという人はほとんどいないんじゃないかなあ。
(好みは色々あるから言い切りはしないけど。)



特に橋爪功、吉行和子が凄すぎる。
経てきた時間や過去まで容易に想像できる演技。
特に二人で並んでホテルの窓から見えるライトアップされた観覧車を見ているシーン、
もうこれだけでこの夫婦の絆と、いい意味での枯れた関係を感じさせる。
夫婦ってこんなもんだよね、という凄味は、子供たちカップルにはとても太刀打ちできない、
リアルの勝利だ。さすがの一言でしかない。


昭和はこんなお父さんばっかりだったよね、と
たぶん誰もが具体的な誰かを思い浮かべたはずだ。
そんな誰でも持っているノスタルジーを押しつけがましくなく感じさせたところでも
もうこの作品は成功していたと思う。さすがの山田節。



ただ、そんなさりげなさの中で妙に気になったのは、
やたら東日本大震災ネタがちりばめられていたこと。
わざわざシナリオを変更したらしいが、これは必要だったのだろうか。


あれ程の悲劇が、どこかキャストの「いい人さ」を表すためためだけに使われているようで
どこかおさまりが悪く感じた。


もうひとつ、昌次の彼女の紀子の言葉遣いが微妙にダメなことが気になった。
敬語がうまく使えていないというか、お友達語の連発というか、
ボランティアも熱心で愛情豊かで優しいかわいい人として描かれているのに
これだけでどうしてもどこか常識外れのお嬢さんに見えてしまう。


今風の女の子を表すつもりだったのかもしれないが、
蒼井優ちゃんの雰囲気の良さも考えるとかなり残念な気がした。





けして邪険にしているわけでも愛していないわけでもないのに、
親という絶対的なものに甘えて生活を優先してしまう子供たち。
これが家族の現実だよね、とやはり思ってしまう。


けれども反面、やはり周吉ととみこは恵まれていたと思うのだ。
周吉の友人の言う「子供たちが立派になったから」ではなく、
ちゃんと子供たちに甘えられていたのだから。


必要とされないことは、たぶん一番寂しくて辛いことだ。


行きは二人でも帰ってきたら一人。
「東京には二度と行かん」と言う周吉がせつない。


2013-02-12

今月の映画 「96時間 リベンジ」

失われた家族の絆を修復するため、元妻レノーアと娘キムの3人でイスタンブールを訪れたブライアンだったが、
以前の事件でブライアンに息子を殺されたアルバニア系犯罪組織のボス、ムラドが復讐のため一家を襲撃。
レノーアを人質にとられたブライアンは、自らも一味に捕えられてしまう。
そして、ひとり取り残された娘のキムにも危機が迫り・・・。



娘のためならやりたい放題、スーパーお父さん第二弾。


この作品の目玉である「無茶苦茶さ」は、
一作目に比べるとちょっとパワーダウンかな、という感じは否めない。
もちろん(元)奥さんや娘のためならなんでもやるぜ!な設定は変わらないのだが、
今回は力づくというよりも移動時間の秒数や爆発音で場所を推測するとか、
リアルで細かな設定や感情的な見せ方が目立つ。


まあ、さすがのリーアム・ニーソンもさすがに還暦過ぎ、少しは控え目にならざるをえなかったのかもしれないが
(それでも充分すぎる程身体を貼ってると思う)、
そのカバーなのかマギー・グレイス演じる娘のキムが今回は大活躍。
いくらスーパーパパの娘でも、素人で運転免許さえ持っていない女の子がそんなドライブテクを披露したり
屋根を走っちゃうなんて無理でしょうとは思うんだけど、もうこれがやり放題。007も真っ青な活躍ぶり。
そのままCIAに就職できるよ、まじで(笑)


このあたりのあり得なさは期待を裏切らない。
さすがリュック・ベンソン。(褒めてます)


そして裏テーマのパパの娘への盲目の愛は変わらず、
その滑稽さのパワーは衰えてません。
デートの現場を調べて押しかけちゃうリーアムパパ。いや、それ犯罪だし!
アクション映画なのに、一瞬コメディかと思う無法っぷり。


そこまでしてもきちんと娘に愛されてるパパ、考えたら本当に幸せだと思う。
そういう意味では、一作目から二作目を前後作とした家族再生の物語と言えるのかもしれません。
(そして忍耐強いボーイフレンドに乾杯)





しかし、復讐というテーマではあるものの、
そして一族のメンツとかも家族愛もあるのだと思うけど
最初に娘をさらって売っぱらったのはそっちだろうという敵方の
あまりに勝手な論理はまじめに感心せざるを得ない。

「おれはもう息子に会えないんだぞ!」

・・・いやだからさ、殺されるようなことをしたのはあんたの息子でしょーが(爆)


このあたりの思考回路っていうのは、しみじみ
孔子ベースのアジア圏の考え方とは全然違うなあと思う。
生命力の違いというか。
こういうのにいわゆるまじめな日本人がかなうわけないとホントに思う。


日本的な発想では、理解不能なことは世の中にたくさんある。
常識なんかも180度違うし。
そういうことを知っていたら、ご都合主義のぶつかり合いみたいな悲劇とか
事件って起こらないと思うのだけど。


(そういえば元妻はまだ離婚してないと思うんだけど、
それで家族旅行っていうのも、考えたらすごいよねえ。)


思考回路や文化の違いって本当に深い溝があるものだと思う。
たぶんそれは、個人個人の「正しい」が違うから。
どれも「正しい」ってみんなが思えたら、もっと世界は平和になれるのにね、きっと(笑)


2012-12-04

今月の映画 「マリー・アントワネットに別れをつげて」


1789年のフランス。王侯貴族を打倒しようとする革命勢力の勝利は目前で、
王妃マリー・アントワネットの名もギロチンのリストにあった。
アントワネットに心酔する朗読係のシドニーは王妃に忠誠を誓うが、
アントワネットは愛するポリニャック夫人の身代わりになるようシドニーに命令を下す。




バスチーユが陥落した7月14日からのたった三日間の物語。


ベルサイユやアントワネットというと、
日本ではやっぱり「ベルサイユの薔薇」のイメージが強いのではないかと思う。
りりしい男装の麗人ときらびやかな宮殿、可憐なフランス王妃と異国の貴族との秘められた恋。


アントワネットの朗読係として仕えるシドニーの視点で描かれるこの作品は、
それとは異なり、一見華やかな宮殿の裏側でうごめく人々をあからさまに描く。
王妃の寵愛するポリニャック夫人に対しての噂話、当時の使用人たちの質素な生活、
思いつきで下される貴族たちの要望に振り回される付き人たち。
ぬるま湯に慣れきって、表舞台でなくても宮殿を出ていけない貴族の成れの果ては、
まるでシドニーの腕に群がるノミのようである。


(そして実際のベルサイユは、確かにシドニーが息を切らして駆けつける程広いのだ。
敷地内のトリアノン宮殿まで移動用の乗り物が用意されているくらいである。)



そんな歴史の裏舞台のリアル感と高額なレンタル料のためブノワ・ジャコー監督に
「高級娼婦」とまで言わしめた本物のベルサイユ宮殿の本物の輝きは、
映画に重厚さと独特の空気感を漂わせる。
その分、あっけないラストには拍子抜けだったが、調べてみるとこの作品は原作ありきだったらしい。
そして原作では主人公は50代であるとのこと。


なるほど、少女ではなく、老齢に近づいた女性であれば、少し納得できるような気はしなくもない。



レア・セドゥーはミッションイン・ポッシブルの殺し屋のイメージとは違い
クラッシックな衣装も似合って魅力的。
どこか冷めた視点を持つシドニー役にははまっていたと思う。
またアントワネット役のダイアン・クルーガーは全編見事なフランス語で
こんなに美しかったっけ(失礼)と思うほど高慢で純粋な王妃を魅力的に演じていた。
それに比較するならポリニャック夫人はもう少し華やかな女性であって欲しかったかも。
(ポリニャック婦人は歴史上でも天使のように美しい人だったといわれている美女である)




王妃に心酔するシドニーのいじらしさと危うさ、
美しく奔放な女友達に恋するアントワネットの世間知らずさとイノセントな残酷さと魅力。
そして自分の欲望と役割と引き際を見事に心得ている"悪女”ポリニャック夫人。



バスチーユ陥落という歴史の大事件の裏で、そんな三人が同性愛のごとく描かれる本作。
確かにそういう感情ももあったのかもしれないと思いつつ、
たぶんこれは彼女たちの恋愛話ではなく、
様々に囚われた人々がその枠を取り払われた時に出会う喪失の物語なのだと思う。




映画ではシドニーが少女だったために、妙に老成された振る舞いの違和感と
ラストのあっけなさが相まって消化不良の感が否めなかったが、
彼女がもう老境に差し掛かった年齢であったのならば理解はできる気もする。


ベルサイユ宮殿という特殊で隔離された世界で栄華を極める美しく若い王妃。
彼女の信頼をかの女性のように得れば、孤独と不安からは解放される。
(映画最後にもシドニーが天涯孤独で孤児院出身であるということがさりげなく出てくる。)




たぶん、彼女はポリニャック夫人になりたかった。
身代わりであっても、恋した王妃の願いを叶えるというそのことによって、
それまでの想いが報われると信じたから。


けれども身代わりは身代わりであり、最後までアントワネットは彼女を見ることはなかった。
だからこそ「世界で一番残酷な片思い」


あのラストの笑顔は彼女としては叶うはずの夢が砕け散った瞬間だったのかもしれない。


プロフィール

hijiri

Author:hijiri
長年のITまみれな生活を経て、着物と煙管、和文化と美しいもの、酒と美食(B級)をこよなく愛する生活。
■日本の文化と”今”をつなぐ再実感マガジンJapaaanでライターやってます。
http://mag.japaaan.com/
■cafeglobe読者エディター、やらせて頂いてます。
http://www.cafeglobe.com/2013/06/030174cafeglobe_readers.html
■ミラーサイトはこちら http://ameblo.jp/hijiri-info

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