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2006-03-28

今月の映画 「プロデューサーズ」


映画プロデューサーズ


落ちぶれた大物演劇プロデューサー、マックスの事務所に会計士のレオが訪れる。帳簿を調べたレオが、ショウがこけたほうがお金が儲かるという摩訶不思議な事実に気づいたことで、マックスはレオを巻き込み、大金をせしめようと、初日=楽日を目指史上最低のミュージカルをプロデュースしようとする。資金を集め、史上最低の脚本に演出家、出演者を得て、いよいよその芝居の幕が上がったが・・・。


トニー賞最多授賞の人気ミュージカルの映画化。今までにも「シカゴ」「コーラスライン」などミュージカルを映像化したものはいくつかあったが、数作をのぞいては舞台よりも見劣りする出来になりがち。しかし、これは「もしかして舞台よりも?」と思わせるくらい堂々たる出来映えである。

・・・しかし考えたらこの作品のオリジナルは元々映画だった。原点回帰?(笑)


少々お下劣というか、やりすぎの感はあるが、まあそのあたりはご愛敬。最後のクレジットが終わるまで観客に席を立たせない”カーテンコール”の演出など、細部まで手を抜かない作りはお見事だ。(少しくどすぎる気もしないではないが)

本家の舞台でも主役をつとめる『ブロードウェイで名前だけで客を呼べる男』ネイサン・レインと『ファッションアイコン=サラ・ジェシカ・パーカーの夫』レッテルも定着したマシュー・ブロデリックはさすがオリジナルキャストの実力。ダンスも歌も演技も文句の付けようがない。

同じくオリジナルキャストであるロジャー役のゲイリー・ビーチ、そして今回新たに加わったウィル・フェレル演じるヒトラー命のドイツおたく、この二人はまさにこの映画の要ともいえる活躍っぷりが素晴らしい。

ヒロイン役のユマ・サーマンも、想像以上にキュートにウーラを演じていたが、残念ながらダンスは『頑張ったね』という感じ。ダンスに関してだけはキャリアが歴然とでるので辛いところではある。

まあ、”大根”女優という役柄的には、それはそれでありかもしれないけど。(笑)

それでも全体の高レベル感とゴージャスさはみじんも揺るがないし、文句なしに面白い。お子さま連れは少々お勧めしかねる部分はあるけれど(苦笑)、ミュージカル好きなら楽しめること間違いなし!の一本です。



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2006-03-26

狂言オペラ 「フィガロの結婚」

モーツァルト生誕250年記念ということで今年は色々なところでモーツァルト関連行事やコンサートをやっているが、その彼のオペラの中でも下品さは一二を争う(?)『フィガロの結婚』を日本の伝統芸能『狂言』風に演じたらどうなるかという、また斬新な試みである。


浮気で女たらしの伯爵に調子のいいフィガロ、そして頭が回ってしっかり者の女達。
なるほど、考えてみればキャラクターは狂言に酷似しているし、思うほど違和感はないかもしれない。

そのうえ、狂言を枠組みを越えてオペラの演出や現代劇に出演している茂山千之丞氏(多才さとクールさが素敵な、私の永遠の狂言アイドル!男は知性ですよ知性)が演出するとなれば、これはもう観るしかないでしょう。


2006-03-26-1


まずは管弦楽団が演奏しながら(!)入ってくる斬新な入場に度肝を抜かれる。おまけに重要な役である”奥方”は人形使いの操る等身大の人形というのがまだすごい。
そのくせ、見事に全てが狂言「風」になっているのは見事としか言いようがない。オペラの方であれば美しい衣装を付けた女性が華やかに演じる女性陣も美男葛をつけた男性が演じているし、道具も見立て。管弦楽にあわせて狂言の舞が舞われ、これがまたうまい具合にはまっていたのには恐れ入った。



いやー、笑わせていただきました。



ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン管楽ゾリステンが演奏しながら入場してくる導入にも度肝を抜かれたが、美しくクールな伯爵夫人が人形なのにもまたびっくり。
狂言回しでもある伯爵夫人に恋する小姓が天使のなれの果て(?)なのも斬新なら、セットがまったくないいわゆる狂言の「見立て」であれだけ華やかなオペラの舞台を演じてしまうのだから凄い。

演出的には受け狙いもあるのかかなりぎりぎりの線で(笑)、お子さま連れにはお勧めしかねる部分があるにせよ、見事に狂言”風”が馴染んでいたのはさすが千之丞さんと言うべきだろう。
正当ファンなら怒りまくることも必至だろうが(苦笑)、一日だけの上演なんてはっきりいってもったいないと思う。謡を知らなくても、見事にオペラの音とマッチした舞などは非常に興味を引くのではないだろうか。歌舞伎のように一ヶ月とはいわないが、一定期間の上演でもっとたくさんの人に見てもらえると、狂言、オペラ双方の普及にもなったのではないだろうか。


ただ、不満もいくつか。
まずコンサートホールでの上演は頂けない。私は席が一階席の丁度まん中辺りだったが、はっきりいって狂言のキモである足元が全然見えない。二階席なら全体は見渡せたろうが、その分今度は頭ばっかりになってしまうだろう。能舞台とは言わないが、やはり舞台は舞台、階段状の劇場形式でやってほしいものである。
また、基本的に謡とセリフは被るもので、普通の能舞台でさえセリフが聞こえない時は多々あるが、今回のバックはオーケストラである。まったくセリフが聞きとれない部分もかなりあった。この辺り演出も含めて再考の余地もありそうだ。


とはいえ、全体的には見事と言うほかない。
元々喜劇である狂言には悲劇が多いオペラの演目で馴染むものはそうないだろう。けれどもこれだけ完成度の高いなら、他の演目でも是非見てみたいものである。


私は若手では茂君贔屓だが、今回は童司君がえらくうまくなっていて(舞台映えするようになっていて)びっくりした。なんというか華が出てきたようで、これからますます楽しみですね。



いくつか気になる部分はあるにせよ、大いに笑いまくってやっぱり千之丞さんは天才だと認識を新たにする。
もう、声を大にして言っちゃうもんねーっ!



2006-03-26-2
いい舞台には高級なアルコール並みに人をよい気分にさせる。
気分がいいので幕間にシャンパンなんか飲んでみちゃったり


2006-03-26-3
ここのサンドイッチは、こういう劇場のにしては美味しいと思う。
具によってパンが違うのが、コンサートホールだけに(?)芸が細かい。




狂言オペラ「フィガロの結婚」 茂山千之丞 茂山あきら 茂山宗彦 茂山童司

2006-03-24

今月の映画 「ナイト・ウォッチ NOCHNOI DOZOR」


映画ナイト・ウォッチ


好き嫌いははっきり分かれる映画だと思うが、私は好きだし面白かった。最後の終わり方など「?」だったが、三部作と知って納得。あんな中途半端で終わってくれちゃったら気になってそれこそ夜も眠れなくなる(?)


私は自称”スリラー&ホラーセンサー”なのだが、例えば「ギャング・オブ・ニューヨーク」は駄目で「羊達の沈黙(ジュディ・フォスターの方ね)」はぎりぎりなんとかクリア、「アレキサンダー」は駄目で「ロード・オブ・ザ・リングス」はOK、「マインド・ハンター」に至っては頼むから勘弁して!となる。ちなみに「オーメン」「ジョーズ」なんか予告だけでも顔面蒼白。(苦笑)

もちろんそういうシーンがないのが一番心は安らかだけど、それじゃなにが違うかと言えば、恐がりの人間というのは現実味のあるものが駄目なのであって、どうあったって自分に降りかかっては来ないと信じられるものには以外と強かったりするのである。

その点、この「ナイト・ウォッチ」はスプラッタ度も満点、首からずぶずぶと剣が出てきたり体の中に手を突っ込んだりとやり放題な割にはほとんど平気だった。

これってなにかに似ているなあと思ったら、はたと気がついた。この映画はまさに実写で作ったRPGなのである。コンピュータの画面の中での戦闘シーンなどどれだけ残虐でも所詮は作りものだし、よーく考えたら光の陣営VS闇の陣営、伝説と運命、特殊能力を持った人間達と役者も舞台もまんま揃っているではないか。

そう考えれば、主役のアントンの苦悩や人生だけがクローズアップされて、チームメンバーや敵の人生なんかこれっぽっちも感じないのも、まるで説明する気がないのも理解できる。

主役のゲーマーにとって、サブキャラは武器と同じ。

ゲームをクリアするために役に立つか立たないかであって、役割と能力が(=何ができるか)が分かればそれでいいのだから。


ひとつだけどうしてもわからないことがあって、

「許可を与えることができるのは光の陣営だけ」

「許可を与えたのに、その上で生き餌を使って罠にかけるのは卑怯だ」

この許可って何?バンパイアが血を吸ってもいいって許可??

それを言ったら、闇の陣営=バンパイアというのはわかるけど、光の陣営のメンバーとはそもそもなんなのか?人間、それとも超能力者??

でも血飲んでますけど。(おえっ)


たぶんこの物語の前提条件であり、これが理解できないと理解不能と思う部分が完璧に説明なしでスルーなのがなんとも消化不良である。スピード感を大事にしたということなのかもしれないけれど、なんの意味がある?なコンサートシーンとか、バスひっくり返りシーンを挿入するならばそこはきっちりと描いて欲しかったなあ、とこれは大きなクレーム。(苦笑)


ロシアの街の独特の雰囲気がどこか浮き世っぽいレトロな味を加えているのもこの映画の勝因のひとつであるように思う。ベルリンなんかに行けばよくわかるけれど、西側の空気がグレーを媒介にしたゆるやかな黒と白のグラデーションであるならば、旧東側とは街や人自体が明と暗にくっきり分かれたような、まさに「光と影」がアンバランスなまま止まってしまった場所だと強く感じるのだ。

ロシアの俳優陣にもあまり馴染みがないが、いかにも役者然とした人間を闇の陣営に、普通に見える方を光の陣営側にキャスティングしたそうだ。確かに主役のアントンもどこにでもいそうなタイプに見えるからこそ、そんな世界で生きざるを得ない苦しみや、隣人との葛藤などがとても切なく見えるのだろう。



斬新な映像だけでも見る価値はあると思うが、そういうわけでいわゆるそういう”バーチャルな世界”に慣れていない人にはそもそも難しい映画でもあると思う。ほとんどなんの説明のないまま唐突さで話は進んでいくので、ゆめゆめ置き去りにされないようにお気をつけ遊ばせ。(笑)


2006-03-20

黒のおたべと狂言 in 丸の内オアゾ

ニッポン放送ラジオ番組「京都おしゃべり茶屋」イベントで、茂山千五郎家の新作狂言が公開されると知り(おまけに無料)、いそいそと出掛ける。
30分前に会場に着くとさすがに席は埋まっていたが、運良く立ち見の一番前に陣取ることができたv。


黒いおたべ-1  黒いおたべ-2
舞妓さんも京都から呼んだそうである。


ウクレレを弾きながら歌う歌手つじあやのさんのミニミニコンサートや落語作家の小佐田定雄氏のノリノリ大阪弁トークの後、いよいよ新作狂言「三人願い」のお披露目。基本的には京都銘菓(株)おたべの新製品「黒のおたべ」のプロモーションを兼ねている(というかほとんどCM)なので内容もそれに即したものだったけれど、わかりやすい内容にはたくさんの笑い声が上がっていた。
きちんと狂言を勉強したりしている方は眉をひそめるかも知れないけど、私はこの茂山家のこういうチャレンジ精神が凄く好きなのだ。


黒いおたべ-3
配布用黒おたべ。
竹炭入りでどこもかしこも真っ黒なお菓子。




さて、舞台の感想の方は。



落語作家である小佐田定雄氏の作。「スイーツ」だの「レベル」だの現代語をちりばめ、今風にアレンジした内容には賛否両論はあると思うが、私はこの家のこういう『わかりやすさ』が大好きだ。
日本の古典芸能である限り、芸術的な追求も美しさも必要なこと。しかし、まずはあくまで庶民の楽しみであったことを考えれば、初心者が見て簡単に理解できて笑うことができる狂言というのは理にかなっている。
お豆腐に徹してきた茂山千五郎家の真骨頂というところだろう。
場所が場所だけに、よくわからないで見てしまった人も一人や二人はいたはず。その中の一人でも、ここで笑ったのがきっかけて狂言に興味を持ってくれれば、それは素晴らしいことだと思う。


京都の(株)おたべとのコラボレーション、しかも新製品の「黒いおたべ」のプロモーションを兼ねているということを考えれば、三人の願いを聞いた時点でオチは見えたようなもの。
それでも、頭に「黒いおたべ」を付けて登場した千五郎当主は凄い。ボイボイ星人には負けるが、かなりの割り切りがなければこんなことは真面目にはできないのではなかろうか。(←褒めてます)
千五郎家だからできるある意味イロモノぎりぎりの面白さ。この家が好きな人はきっとこのチャレンジングなところが好きなんだろう。

しかし、これだけ固有名詞を連呼すると、さすがに普通の公演でかけるのは難しいのだろうな。
狂言としても(オチはCM的に作り込み過ぎにせよ)よくまとまっていただけに、少し残念な気もする。ネタを変えて宣伝的なところを削ったら結構いけるんじゃないかとも思うんだけど・・・。



ニッポン放送ラジオ番組「京都おしゃべり茶屋」イベント 『黒のおたべと狂言 in 丸の内オアゾ』

新作狂言「三人願い」 茂山千五郎 茂山七五三 茂山千三郎 茂山正邦 茂山逸平






2006-03-18

今月の映画 「サウンド・オブ・サンダー」


映画サウンド・オブ・サンダー


近未来、人類はついにタイムトラベルの技術を手に入れた。シカゴの旅行代理店タイム・サファリ社は高額所得者を対象に、タイムマシンを使った白亜紀恐竜ハンティングツアーを売りにしていた。トラヴィス・ライヤー博士は自身の夢のため、このツアーの引率責任者として働いていた。

ある夜、ツアー参加者を招いたパーティーにタイムマシンTAMIの開発者ソニア・ランド博士が乱入、ツアーの危険性を指摘する。その後もタイムトラベルは中止されることなく順調に継続していたが、ある日ツアー中にマシントラブルが発生。なんとか無事に現代に帰ってきたトラヴィス達だが、その後のツアーに様々な計算違いが発生するようになる。ほどなく町の異変が起こりはじめ、津波のようなタイムウェイブ(進化の波)が押し寄せてくる。

なにかで過去に変化を起こしたに違いないと、トラヴィスやソニアは変わり果てたシカゴの町で原因究明に乗り出すが・・・。


レイ・ブラッドベリ作の「いかずちの音」の映像化。この作品が書かれた50年前にはさぞかし斬新だっただろう内容だが、その頃ならきっと気にもならないような疑問点や矛盾が、いかんせんSFズレしている現在の我々(笑)には食いたりなさとして残ってしまう。

たぶん、文字で読んでいる限りあまり感じないようなことも、映像という三次元で見せられると気になってしまうものなのかもしれない。

忠実に映像化した結果なのかも知れないが、細かい人間関係や心理などがまったく描かれていないこともそれに拍車をかけている気がする。


ハリポタやロード・オブ・リングス、最近ではナルニア国物語などを見る限り現代のCG技術はかなりの水準に達していると思うのだが、なぜかこの映画では実写と合成のマッチングが非常に悪く、CGも荒さが目立った。せっかくなら”映像で魅せる”くらいの気合いがあれば、印象も少しは違ったのかも知れないと思うと残念だ。

役者もそれなりの実力者は揃えてはいるが、トップスターレベルはほとんど出ておらず、資金が足りなかったのか?なんていらぬ勘ぐりをしてしまった。(笑)


それでも、さすが自身で撮影監督も兼ねる“職人”ピーター・ハイアムズ監督の作品。スピード感にあふれていて、はらはら気分は充分に味わえる。色物シーンもなければ、残酷なシーンもないのに非常にわかりやすい作りになっているので、お子さま連れで行ってもまったく問題はないし、子供も大人も一緒に楽しめる一本ではないだろうか。



それにしても、あの解決の仕方はある意味「過去を変えた」ことにはならないのかなあ・・・??



2006-03-17

立川談春の独演会

ホワイトデーだからというわけではないんだろうけど(そもそもあげてもいない)、友人に立川談春の独演会におごりで連れていってもらう。


落語に興味はあれど、どこのどなたにどうやってはまればいいのかがわからないまま、お誘いを頂ければさっさと尻尾を振るというすこぶる受け身状態を続けている。
よくしたもので、それでも「落語が見たい!」と叫んでいると(迷惑なやつ)それなりにはお誘いを頂けるもののようで、まったくありがたいことだ。
(や、普段はちゃんと割り勘で払ってますよ??誤解なきよう・・・)


今回の談春師匠も初めて見せて頂いたが、特に人物の演じ分けが見事なもので、強弱の効いた話し方と見せ方は結構好み。濃いめの外見に最初はちょっと色眼鏡で見ていたが、大変力量のある方とお見受けした。(つーか、既に相当人気の方なんだよねこの人。ファンの方すみません)
どれもよかったが、二本目の「居残り」のお話が特によかった。ご本人は「小悪党が似合うっていうのもどうか」みたいなコメントを終わった後してらしたが、実際にそういう『要領のいい、どこかかわいげがある』役はあってらっしゃると思うし、それは少なくともご本人の人間的な魅力から来るものでもあるんでしょうね。
その人にかわいげがないと”悪いこと”を魅力的に見せるのは難しいもんね。


#ちなみになぜか、終わった後に友人と「悪党と小悪党の違いは?」「悪党って実際にどんなヤツだ?」みたいな議論で盛り上がってしまいました。。。。私はこう思う!、って方は遠慮なく参戦して下さい。ご意見お待ちしております。
ちなみに私にとって悪党っていうのは「悪いことを悪いと思わない人間」っていうイメージです。疑問に思わないからなんでもできちゃう、みたいな感じかな?




終了後、これもおごりで大好きなタイ料理のお店へ(ぐふふ)。久しぶりに本格的な野菜たっぷりの生春巻きやら辛いサラダやらを食して絶好調。いやいや、こういうお姫様的ラッキーでしたらいつでもウェルカムよぉ~。

なんて調子に乗ったのがいけなかったのか、ついつい時間を過ごし電車を逃してタクシーに乗る羽目に。
ははは。そうそううまい話だけでは問屋が下ろしません。世の中よくできてるもんですね、ホント。(苦笑)



2006-03-15

今月の映画 「ククーシュカ ラップランドの妖精」


映画ククーシュカ


第二次世界大戦末期、スカンジナビア最北の地、ラップランドではロシア軍、ドイツ軍、そしてドイツと同盟を結んでいたフィンランド軍が戦っていた。フィンランド軍の狙撃兵ヴェイッコは、非戦闘的な態度に怒った戦友らから罰としてドイツの軍服を着せられた上、鎖で大岩に繋がれたまま置き去りにされる。その頃、ロシア軍大尉イワンは軍法会議にかけられるため車で護送中、味方の戦闘機に誤爆されてしまう。命を落としかけた敵味方ふたりの兵士を救ったのは、その地でひとり暮らす女性アンニだった。しかし彼らはそれぞれサーミ語、フィンランド語、ロシア語しか理解することができない。言葉の通じない三人の男女の奇妙で不思議な生活が始まり、やがて・・・。


素朴に生きる女性が戦争に傷ついた兵士を助け、みたいな美しき物語を想像していると見事に裏切られる。イワンにとって命を助けてくれたアンニはまさに理想の女、平和主義者ヴェイッコにとっては闘志ムキ出しのイワンは理解できないし、四年もラップランドの自然の中で一人逞しく生きてきた女性アンニにとっては彼らは聖霊に願ってやまなかった『オトコ』でしかない。

三人にとって、全ては現実。幻想や夢が入り込む隙間など存在しない。

言葉の通じない彼らにとってのそれぞれの思惑や思いは同化することなく、勝手な思いこみが不思議な調和を保ちつつ流れていく。そのやりとりはまさにコメディで、馴染んだ常識の違いやコミュニケーションがとれないということがいかに喜劇であり悲劇であるか、ということをわかりやすく伝えてくれているようだ。

アンニを演じたクリスティーナ・ユーソのくるくると動く表情がいい。厳しい自然の中で生きる人間によく見られるように、彼女もどちらかというといつも不満げな厳しい表情をしている。だからこそ時々見せる笑顔がとんでもなくキュートで美しい。開けっぴろげに「オトコ」に迫ったりするのも、だから全然いやらしくないし、むしろ魅力的だ。

逞しくしたブラピといった感のヴィッレ・ハーパサロのハンサムで理想主義の若者もいいし、ヴィクトル・ブィチコフの演じるイワンは、歳やら戦争やら嫉妬やらいろんなものに翻弄されて訳がわからなくなったとまどいとあきらめをさすがの力量で表現していた。(しかし、この人なんかよく見かけるような気がするんだけど・・・)

普通ならむしろ途中だらけそうなストーリーも、前半の鎖の話と後半の犬憑きの話ではらはらと引き込まれてしまう。脚本もなかなかだ。

広大なラップランド大自然とと三人の演技力と脚本、この高レベルのバランスが、むしろ地味な作りのこの映画の魅力を形作っていたのではないかと思う。


最後に解ける”チラシの謎”。

彼らはアンニの人生のほんの一瞬通りすぎただけかもしれないけれど、彼らが残したものは彼らよりももっと確実にアンニの生活を潤し、そしてラップランドの自然に根付いて行くのだろう。

あまりメジャーではないロシア映画だけれど、そんな幸せな余韻が残る「現実過ぎるからこそのおとぎ話」でした。





今回の試写会はTOKYO-FM主催。ここの試写会は毎回ゲストを迎えてのトークとか舞台挨拶とかがあって、結構盛りだくさんな事が多い。

今日は映画解説者のりりこさんのトークも面白かったし(彼女がデンマーク在住というのにはびっくり。どうみてもラテンって感じなのに(笑))、To Pieceという男性デュオのミニコンサートもよかった。

この映画にインスパイアされたという歌二曲は、実際の映画の主題歌が暗めでいまいちだったせいもあって、映画の雰囲気にはこっちの方がいいかなと思ったくらい。

ホワイトデーということもあって、帰りがけにこの二曲が入ったCDを本人達が手渡してくれるサービスぶりで、タイアップというのはあるんだろうけどいい気分で会場を後にしたのでしたw。


2006-03-12

フランス近代絵画展


フランス近代絵画展


チケットをもらっていたのになかなか行けなくて、結局最終日に滑り込みセーフ。

思った以上に見応えがあって面白かった今回の展覧会。
目玉はかなりの数が出展されているルノアールだったみたいだけど、個人的によかったのはドガ。

彼がかなり熱心なアマチュア写真家であったことはよく知られているけれども、そのせいか彼の絵、特にデッサンはかなり『フィギュア』という事が意識されている気がする。
ゴッホなどもかなりの数のデッサンを残していて、いかに写実的に(というか自分が見えているとおりに)描くかを苦心していた傾向が伺えるけれど、ゴッホが描いたものをできる限り『現実通り』にしようとしていたのに対して、ドガの場合は(モチーフが踊り子などであることも影響していると思うけれど)その現実をいかに『芸術的に美しく』昇華して表現するかを考えていたような印象を受ける。
あくまで私個人の意見ではあるけれど。

もうひとつ、彼の絵を見ていて思うのが、踊りを生業とする人々にしても、思いがけず骨太でしっかりした体をしていたのだということだ。
バレエなどはいかに”神に近づくか”という事が主題で、トゥシューズで立つのもそれだけ天に近くなるから、という冗談(本気?)があるくらいだけど、今のように顔が小さくてきゃしゃなダンサーばかりではなかったとしたら、技術も照明も舞台美術も確立しきっていないその時代、うっとりするくらい美しく見せる為にはどのくらい努力をしていたのだろうと思うとなんだか感慨深い。


向こうに住んでいたこともあって、やっぱり見たこと行ったことがある場所が多いフランスの風景というのが馴染みやすかった原因だと思うけれど、特にモネの連作「ルーアンの大聖堂」はとても懐かしかった。
ルーアンというと、マリー・アントワネットの首飾り事件くらいしか思い浮かばなかった私が、ドライブ旅行の途中によったルーアンで見た朝日の中の大聖堂が素晴らしく美しくてびっくり感動したことを思い出す。ただ、個人的には色のイメージは黄色っぽいオレンジの光だったので、どうしてピンク?という気持ちもあるんだけどね。(笑)


印象派から野獣派まで、この頃のフランス絵画は一番面白い時代だと思う。”記録=写真替わり、から表現=絵に”変わっていった時代とも言えるし、色々な手法が「それもあり」と認められた時代でもあったと思う。(ルドンの目のシリーズなんて、ほとんど現代の漫画の世界だ)
その変化をうまく見せていたという意味でも、今回の展示会は構成もなかなかよかったと思う。ただ一方通行を逆行しようとすると難しい順路レイアウトはいまいちだったけど。(あれをもう一回見に戻ろうっていうのは、結構あるんじゃないかなあ・・・って私だけ?)




それにしてもセルビア・モンテネグロって国名すぐに出てきますか?
私は駄目でした・・・・。(苦笑)


2006-03-09

今月の映画 「PROMISE」


映画PROMISE


戦場の死体からも盗み、食べる為に人を裏切り、生き延びるためだけに生きている幼い少女・傾城。彼女の前に、運命を司る美しき神“満神”が現れた。「この世のすべての男からの寵愛と、不自由ない生活を約束しましょう。その代わり、お前は決して真実の愛を得ることはできない。それでもいいですか?」と問う満神に傾城は「それでもいい」と答える。

やがて彼女は王妃となった。その頃、無敵を誇る大将軍・光明が、俊足の昆崙を自分の奴隷としていた。そして反乱の企てから王を救おうと、光明と昆崙は城へと向かうのだが、大怪我をした光明の変わりに”花の鎧”を身につけた昆崙が、傾城を救うために主君に刃を向けたことから運命は狂いだし・・・・。


え、えーと、すいません、最後まで全然話がわかりませんでした。(爆)

イメージとしては一応神話ベースなんだろうなあと思うけど、激しすぎるCGは思いっきりアニメ。とても『さらば、わが愛/覇王別姫』をとったチェン・カイコー監督とは思えない、ある意味突き抜けたエンターティメントである。


基本テーマは、真実の愛を得ることができない運命から王妃・傾城を誰が救うのか、というなかなか深い話のようなのだが、人間凧やら巨大鳥籠やらはては金の指さし棒にいたっては、アニメかコントか、という感じ。

アニメでやれば、ある意味濃ゆいキャラばかりなのでかえってはまる気がするけど、実写でやるとどうもさすがに辛すぎる。


先日見た「忘れえぬ想い」のヒロイン、セシリア・チャンが傾城役を演じていたが、運命の女性というにはいまいち役不足。確かに美しいけれどキーパーソンなだけに存在感が薄さが気になって、ただのきかん気のお嬢さんにしか見えないのが難点。

(結構好きな女優さんなのですが)

翻って充実しているのが男性陣。真田広之の存在感に、チャン・ドンゴンの美しさ(あれだけ汚いカッコしてそう見えないのがさすが「Mr.パーフェクト」)、及川ミッチー似の二コラス・ツェーの美しきナルシストもなかなかだし、さすがにアジアの代表選手を国を越えて集めただけある。全員演技も殺陣も確かで(さすがジャパンアクション出身だよ真田広之!)それがなかったら、荒唐無稽どころかただの訳のわからない三流映画に成り下がっていたに違いない。


逆に考えればこれだけの制作費とこれだけの役者を揃えて、ここまで激しく偏った映画を撮ったチェン・カイコー監督はやっぱり大物ってことかもね。(笑)


確かに美しい映画ではあるけれど。

最初の30分でこの世界に入り込めるか、まずはそこが勝負です。(苦笑)

 

2006-03-04

今月の映画 「春が来れば」

トランペッターのヒョヌの夢は、交響楽団に入って名声を得ること。だが、その夢も実現しないまま、気がつけば中年の年齢になり、愛する人を幸せにする自信もない。いつの間にか不機嫌で頑なな人間になっていたヒョヌ。恋人ヨニも新しい相手を見つけたらしい。

挫折感を味わい心が荒んだ彼は、江原道の小さな炭鉱町にあるトゲ中学校の臨時教員としてブラスバンドを指導することに。トゲ中学の吹奏楽部は、かつては全国大会で入賞したこともあったが、町の人口が減るにつれて部員も減り、学校の中でもお荷物のような扱いを受けていた。今度の全国吹奏楽コンクールで入賞しなければ、廃部になってしまう。

おばあさんと二人暮らしのトランペットのジェイル。ケニー・Gに憧れるませたサックスのヨンソク。意欲もなくやって来たヒョヌだが、次第に子供たちと心を通わせ、若い薬剤師スヨンとも打ち解けていく。ジェイルの祖母の入院、父の反対を受けるヨンソク。音楽に対する情熱を持った生徒達とのふれあいが、やがてヒョヌを変えていく。そして季節は巡り、春が来ればコンクールの日が、そしてヒョヌがこの町を去る日がやってくる。。。



非常に地味だけど、しみじみしたストーリー運びがじんわり魅せる不思議な映画。正直、主人公を含め出演者の状況や周りの説明が不十分で、いまいちはっきりと分からないままにストーリーは進んでいくので消化不良の感は否めない。

たぶん身近だけれどそんなに仲がいいわけでもない、例えば毎日会う学校のクラスメートとか会社の同僚を見ている感じといえばいいだろうか。なにかあったみたいなんだけど、細かいことは分からない。根堀葉堀聞く程の関係でもないから、きっとそうなんだろうなと推測するだけ、手を出しかねてこまねいているみたいな、そんなもどかしい雰囲気がどこかにあるのだ。


見ている最中、なぜヒョヌがこの小さな町でどこかはみ出た、よそ者の感じがいつまでも消えないのがとても不思議だった。最後まで見ると、臨時教員であり、3月までの短期契約であったことがなんとなく理解できたのだけど、そういう”前提条件”がよくわからないので、最初は感情移入がしにくかった。全てにおいてその調子。恋人ヨニのエピソードにしてもどこか唐突な感じは否めない。

けれどもそんな消化不良感がかえってリアルな空気を醸しだしているのだから面白いものだ。

たぶん現実なんて実はこんな程度なものなのかもしれない。


いいことも悪いことも色々な出来事が積み重なって、まるで細い雪溶け水が大きな流れになっていくように、止まっていた心もやがれ動き出す。

自分を哀れむのに精一杯だったヒョヌが、人の為に走り回って悩み泣き苦しむ。それが見ていてとてもすがすがしい。


オールド・ボーイやら親切なクムジャさんやら、暴力がらみのクセのある役ばかりのチェ・ミンシクが季節の移り変わりとともに生まれ変わっていくごく普通の中年男性を、時に豪快に、時に繊細に好演している。外見はけして格好いいとは言い切れない彼なのに(ファンの方すみません)人生に疲れた情けない中年が、いつの間にか独特の色気を漂わせる渋いおじさんになっていくのだから名優というのものは見事なものだ。

それ以上に見事なのが、子役達。特にジェイルを演じたイ・ジェウンは韓国映画界きっての名子役と言われるだけある。他の子役にしてもワキを固める俳優陣にしても、けして出しゃばることはなくても素晴らしい存在感で映画を盛り上げている。役者には恵まれた映画だと思う。



天涯孤独になったジェイルになにもできないことを嘆き、ヒョヌは思わず母親に電話をかけ「もう一度やり直したい」と本音を吐く。その時の母親はこう答える。


「これからが始まりなのに何をやり直すの?」」


やり直しでない、これから始まる人生。

その人がそう願えば、新しい道はいつだって開けている。

・・・そう、冬が終わり、桜が咲く春が来るように。




2006-03-03

今月の映画 「ニュー・ワールド」


映画ニュー・ワールド-1


映画ニュー・ワールド-2


1607年、イギリスを出航した船が”ニュー・ワールド”北米ヴァージニアに到着する。しかしそこにはすでに、ネイティヴ・アメリカンの人々が暮らしていた。船には反乱罪で繋がれていたジョン・スミス大尉がいた。船長は彼の命を惜しみ、ネイティヴとの交渉役を託す。しかしスミスはネイティヴの戦士たちに囚われ、処刑されそうになる、その彼の命を助けたのが王の娘ポカホンタスだった。2人は恋に落ち、ポカホンタスは砦に戻ったスミスを助けるために手をさしのべる。それが自分とアメリカ大陸の運命を変えてしまうことも知らずに・・・。


アメリカ人なら誰もが知っているという、ネイティヴ・アメリカンの酋長の娘ポカホンタスの物語。ディズニーがアニメ化しているのでそれで知ったという人も多いだろう。この映画ではスミスと別れた後の彼女の一生まで描くというので、かなり期待し楽しみにしていた。

感想は・・・・はっきりいって「なんじゃこれ」

映像はとにかく美しいけれど、とにかく間伸びしている。しすぎである。見終わってもにがなんだかさっぱりわからない。


白人との結婚とキリスト教への改宗という、当時としては画期的なことをやってのけたポカホンタスは、言い伝えが真実であるならばアメリカという国の始まりに重要な役割を果たした、いわば歴史の一部である。

しかし、映画のなかの彼女はただ始めての恋にを運命と思い込み、それに振り回されるだけの女性に見える。スミスにしろロルフにしろ、またそんな彼女に翻弄されまくり、画面の中でみんながみんなあーでもないこーでもないと自分勝手に苦悩しているだけでしかない。

そのうえ、登場人物たちはやたらと口数が少ない。物語はほとんどパントマイム的なイメージ映像とモノローグで語られていく。

しかし、モノローグってのは主観や感情でしかないんだよね。

”私は今こうしてこういうことをして、あの人はあっちを向いてうんねん・・・”なんて客観的な視点にどうなったってなるわけない。そんなあやふやなものだけで話をわからせようなんてのはどだい無理な”お話”なのである。



超寡作でも力量には定評のあるテレンス・マリック監督の作品であり、時間も手間もかけたことがわかるだけにもっとやりようがあったのではとどうしても思ってしまう。変にリアルスティックにインディアンとの確執などを描くならば、まずはしっかりと主人公であるポカホンタス像を確立させて欲しかったと思うと残念。

主演のクオリアンカ・キルヒャーもポカホンタスのイメージにピッタリだったし、相手役にもコリン・ファレルやクリスチャン・ベイルという演技派も揃えていただけに残念な気分が拭えない。




今回の試写会はジャパン・プレミアだったのでテレンス・マリック監督とクオリアンカ・キルヒャー嬢の舞台挨拶があった。それはそれでお得な気分ではあったけれど、日本側のゲストがレイザーラモンHGとRGだったのにはかなりびっくりした。

別に彼らは嫌いでもないけれど、16歳の少女の目の前で”アレ”は、日本の品性を疑われても仕方ないと思う。スポンサーはもう少しTPOを考えて欲しいものである。よっぽどゲストなしの方がスマートだったんじゃないのかなあ。

・・・マジで腰が引けていた彼女を見ていると、なんだか日本人として恥ずかしかったんですけども。



プロフィール

hijiri

Author:hijiri
長年のITまみれな生活を経て、着物と煙管、和文化と美しいもの、酒と美食(B級)をこよなく愛する生活。
■日本の文化と”今”をつなぐ再実感マガジンJapaaanでライターやってます。
http://mag.japaaan.com/
■cafeglobe読者エディター、やらせて頂いてます。
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■ミラーサイトはこちら http://ameblo.jp/hijiri-info

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