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2006-04-23

ロダンとカリエール展

頂きモノのチケットの期日が今週末までになっていたので、慌てて上野の国立西洋美術館へ。ロダンは有名だし作品もぱっと浮かぶけど、カリエール??どっかで見たことはあるような気がするけどなあ。

と思ったら、もう十五年以上前に初めてヨーロッパへ行ったときに、オルセー美術館で見たのだった。暗くて重くて、ずっしりとした印象の絵。
絵の印象って、結構忘れないものだ。


さてこのウジェーヌ・カリエール氏は、ロダンととっても仲が良かったらしい。今日はあえて並べたのもあるだろうけど、相当な数同じモチーフを描いているor作っているみたいだ。
そうやって見ていると、カリエールの絵は非常に彫刻的であることがわかる。ロダンをして「彼はは彫刻家だ」と言わしめたというエピソードがあるそうだが、さもありなん、彼の絵はあくまでフィギュアよりも質感、もっと言えばモチーフそのものに『重さ』を感じるのだ。”固まり”っぽい感じと言ってもいい。

絵というのは、背景があって初めて”作品”として完成する、と私は思っている。私も絵を描いていたからそう思うのかもしれないけれど、いわゆる対象=そのモチーフだけをうまく描くことは、絵心のある人なら割と簡単にできてしまうものじゃないかと思う。いわゆる素描(デッサン)というものですね。
しかし、これにきちんと背景をつけ”作品”として完成させることは意外と難しい。同じレベルで、いやもしかしたら背景の方に比重があるくらいのバランスで作りこむことができて初めてそれは”作品”というモノ=商品になる。それができるのが画家というものなんじゃないだろうか。(イラストなんかも同じだと思う)
けれど、彫刻というのはそうではなくて、そのモチーフを如何に表現するか、ということになる。背景や周りの風景を入れ込む必要はない。あくまでメインはその「モノ」だから、その物体にさえパワーがあればいいのである。
二次元と三次元の違いと言ってもいいかもしれない。


そういう眼で見ると、カリエールの絵は背景はほとんど描かれずひたすらその「モノ」を描こうとしているように見える。ロダンの彫刻と並べても遜色ない程『重い』のは、あながち暗く沈んだ色のせいだけではないんじゃないだろうか。
ロダンが建築家だったというのは有名な話だけど、カリエールは版画家から画家に転身したそうだ。かれの捉え方が彫刻に似ているのは、そういう経緯もあったのかもしれない。





カリエールとは関係ないが、私は彫刻ならロダンの「ジャンヌ・ダルク」とベルリンにある「ネフェルティティ」が非常に好きなのだが(これを彫刻というならば、だけど)、今回その「ジャンヌ・ダルク」が展示されていてとてもうれしかった。
「ジャンヌ・ダルク」はないけど、そういえば国立西洋美術館って意外とロダンの作品多く持ってるんだよなあ。たまには常設展示も見に来ようかな、なんて思った午後でした。



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2006-04-21

今月の映画 「ピンクパンサー」


映画ピンクパンサー


サッカーの試合中に、フランス代表の監督が衆人環視の中で殺害される。彼の近くには世界的な歌手である恋人の姿が。そして殺された彼の元から世界的に有名で高価なダイヤモンド『ピンクパンサー』が忽然と消える。

この事件の真犯人と消えた『ピンクパンサー』を追って、あの名警部クルーゾーが帰ってきた。彼なりの過激な捜査を進めていくうちに、ひとりの人物がこの事件の手掛かりとして急浮上。その人を追って、パリからニューヨークへ。そこで彼の前に現れた真実と隠された陰謀、そして、ダイヤモンド『ピンクパンサー』の行方は・・・。



随分昔に漫画かなにかで見た記憶があるようなないような。

そんなあやふやな輩でも、強烈なイメージが残るご存じクルーゾー警部像。まさにそのまま漫画から抜け出して来たような警部を演じたスティーブ・マーチンに、まずは拍手。これはまさに彼のための映画と言って過言ではない。


しかし、映画としては、激しく微妙。


個人的には大ファンであるジャン・レノを見に行ったようなものだけど、彼である必要性はまるで感じない役だし(トレードマークである髭まで剃って!)ケヴィン・クラインも相変わらず達者な演技で笑わせてくれるが、やっぱり彼である必要性は感じない(つーか、はっきりいってもったいない)。途中途中の体をはったギャグでは大笑いできるとはいえ、情けなさもつきまとう微妙な笑いである。

とどめは殺された監督の恋人役のビョンセ。確かに女から見てもキュートでセクシーでクルーゾー警部を惑わす役には十分だけど、でもやっぱり彼女である必然性を感じない。つーかあれはまんま素でしょ。演技もなにもあったもんじゃない。

唯一のめっけものは、ニコルを演じたエミリー・モーティマー。いかにもフランス女性らしいひょろりとした体型といつも泣いているようなタレ目の表情がとてもいい味を出していた。


コメディには二種類あって、いわゆる「おお、そう来たか!」と思わせる意外性でくすりと笑わせるものと、パターンに次ぐパターンで、これでもかという感じで笑わせるものがある。例えばイギリスが誇るコメディシリーズ「Mr.ビーン」なんてカンペキに後者だし、このピンクパンサーもまず後者に含まれると思う。

このタイプは安心して見られる良さの反面、逆がしつこすぎて、好き嫌いがはっきり分かれる傾向があることは否めない。向こうで英語の学校に行ったときに授業で「Mr.ビーン」をやたらと見せられたことがあるが、クラスメートが延々と大笑いしているのに私は見ているだけで疲れてしまい、笑いにもいろんな文化があるものんだなあと思った覚えがある。

そういう意味で好き嫌いは分かれそうだが、この手の笑いが好きな人にはとても面白い映画ではないだろうか。(私は駄目っぽいけど)映画館でもあちこちで大笑いしていたし。

もしかしたら私は見ていないけど往年のドラマシリーズが好きだった人には、懐かしさでも楽しめるかもしれない。


それにしても、「ピンクパンサー」ってキャラの名前じゃなかったのかなあ。

結構覚えていないもんだ、うーむ。


2006-04-18

今月の映画 「陽気なギャングが地球を回す」


映画陽気なギャングが地球を回す-1


映画陽気なギャングが地球を回す-2


他人の嘘が分かってしまう男、成瀬。コンマ一秒まで正確な体内時計を持つ女、雪子。生まれついての天才スリ師、久遠。口から生まれてきたような演説の達人(?)、響野。

普通ならなんにも役にたたない能力が、みんなで組めば力を発揮できる!チームを組んだ四人は次々と”ロマンあふれる犯罪計画”を成功させていくのだが。



感想。


滅茶苦茶かっこよくて面白い。


で、キョーレツバカバカしい映画。


以上。





。。。。って、おい、終わるんかいっ!(爆)


いや、ホントにこれくらいしか書くことがないんだよね。ストーリーはあってないようなもんだし、全編を半分の時間にダイジェスト編集したってそう印象は変わらないと思うし。

一応ラブストーリーや謎解きみたいな味付けもされているけど、あっというまに結末に到達してしまうので、どうなるんだろう~ドキドキ、みたいなことを思っている暇もないし。


と、こういう映画なので出演者が陳腐だとただのB級バラエティだが、そのあたりはさすがに練られている。大沢たかお、佐藤浩市、鈴木京香という、演技も達者ならビジュアルもばっちりな役者が勢揃い。おかげで『バカバカしいけどかっこいい』映画に仕上がっている。ちんぴらかと思うような衣装の大沢たかおとか、金髪で「ロマンロマン」としゃべりまくる佐藤浩市なんて、はっきりいって面白すぎ。サイコーだw。

松田優作の次男という松田翔太も思ったより役にはまっていてよかった。セリフは棒読みだけど、表情がなかなか役にはまってたし。兄ちゃんより演技はうまいかも。(爆)

ワキを固める役者陣も、大杉漣やら松尾スズキやら大倉幸二やらクセのある実力者揃い。音楽もかっこいいし、これだけのパーツを揃えれば役者の動きひとつとったって面白くないわけがない。

ひたすら予定調和な笑いのために作りこんだ作品だから、安心して主演四人のかっこよさに酔えることは保証します。


コミックやら関連書籍やら、ちょっと「踊る~」系のブームにしたかったみたいなケもちらりするけど、さすがにこれだけ人間ドラマが稀薄だと難しかったかなという感じ。感情移入するとかそういう話じゃないもんね。(苦笑)

見終わった後は確かに「あー面白かった!」だけど、それ以上印象に残らない。

だからこそ、頭を空っぽにして大笑いしてすっきりしたいときにはお勧めの”かっこいい映画”です。


2006-04-16

春狂言2006


今日は国立能楽堂へ、春狂言を見に行く。

私が追っかけしている(?)茂山千五郎家では、春と夏に三日間の狂言イベントをやるのがお約束。狂言というのは通常能とペアで演じられるものなので、これだけまとめて狂言だけ見るイベントはなかなかなくファンにはたまらない数日間。
本当なら通しで観たいところだが、懐具合やらなんやらでなかなかそうもいかないのが悲しいところ。いや、笑いに行くんですけど。(苦笑)


というわけで最終日の本日になったのだが、人間国宝の千作さんの太郎冠者や愛する千之丞さん演出の新作やらの充実した内容を堪能してきた。
これで正面の一番いい席で五千円程度、東宝やら四季やらの舞台なんかに比べると日本の伝統文化のコストパフォーマンスの良さにはホントに感心する。いやあ、舞台に出てくるだけで自然に笑みがこぼれてしまう千作さんを見るだけでも行く価値は十分にあると思うわー。

考えてみれば、初めて茂山千五郎家の狂言を見たのが去年の春狂言だった。そこからすっかりはまって追っかけ状態になり早一年。
いやいや、月日の経つのは早いものである。(しみじみ)


さて、今回の見物は40年ぶりに上演されるという「川上地蔵」である。元々は和泉流で演じられていたという演目を我らが千之丞さんのアレンジで上演されるようになったものらしい。とはいえ、40年ぶりってあなた、ほとんど遠すぎて演じられていないのと変わらないとは思うけど。(笑)


その「川上地蔵」だが、途中まで、正確に言えば地蔵が出てくるまでは面白かった。妻と別れれば目が見えるようになるとすっかりその気の夫に、今まで尽くしたのにと怒る妻、そしてお気楽な地蔵。千之丞さんの夫はもちろん、ヒステリー妻を演じさせたら右に出る者がいない(?)あきらさんに、のほほんとしたこういう役はぴったりの正邦君、配役に文句もない。


しかし地蔵が退場してからも続く物語ははっきりいって不要と思わざるを得ない。結果的には元のさやに収まる(そうせざるを得ない)二人だが、その延びた分だけシニカルな雰囲気が勝ってしまって正直笑えなかった。現代劇ならばともかく、狂言はシンプルが一番、その辺クレバーな千之丞さんにしてはちょっとしつこいかったのではないかというのが素直な感想だ。
元の演目を見たことがないのでこれがアレンジなのか本流なのかイマイチ判断できない部分はあるんだけれどね。


その点、シンプルさでは比類を見ない?「花争」は、やすしさんののんびりした雰囲気もあって安心して笑える暖かさがいい。逸平君もそう言えば最近見ないなー、なんて思っていたので久しぶりに見て安心したりして。(苦笑)


トリを努める「素袍落」は人間国宝千作さんの当たり役でもあり、さすが見事な太郎冠者ぶりには素直に素晴らしい。
実は千作さんで太郎冠者を見たのは初めてだったのだが、いやはややはりレベルが違う。出てくるだけで笑いをとれる、まさに全身『狂言』なお方である。(?)
私は千作さんの「なんじゃ」の言葉と間が非常に好きなのだが、今回も充分その見事な一言芸を堪能させていただいた。




今回は狂言を生で見るのが初めてという初心者も同行。狂言は基本が『見立て』の世界だし、最初はなかなかセリフというか言い回しが耳慣れないので入り込みにくいものがあるからどうかなと思っていたけど、大笑いしている様子に一安心。
やっぱり最後のが一番面白かったそうで、一流の芸は初心者でもわかるということでしょうね。

まあ、私自身がそれではまっているわけだから今更言うことでもないんだけどね。(苦笑)



狂言「花争」 丸石やすし 茂山逸平

狂言「川上地蔵」 茂山千之丞 茂山あきら 茂山童司

狂言「素袍落」 茂山宗彦 茂山千作 茂山七五三

2006-04-10

今月の映画 「連理の枝」


映画連理の枝-1


映画連理の枝-2


成功したゲーム会社を経営する若き実業家ミンスは、数々の女性との恋愛を楽しむプレイボーイ。そんな彼がひょんなことからヘウォンという女性に出会う。美しいヘウォンを早速口説きはじめたミンスだが、今までのようにうまくいかずに彼女に振り回されてばかり。今までと勝手が違う状況にとまどいながらも、ミンスは次第にその明るく純粋なヘウォンの姿に心を奪われていく。ある日二人で出掛けた動物園でへウォンが突然倒れる。実は彼女に残された時間はわずかしかなかったのだ・・・・。


いい意味で”砂を吐きそうなくらい甘い”映画。(苦笑)

とはいえ、今までの韓流のようにベタな悲恋映画というイメージは少ない。特に前半はコメディかと思うくらい明るいし、とまどいながらも距離を詰めていく二人の姿はなかなかかわいらしくて見ていてほのぼのする。最終的な結果が見えているとはいえ”乙女の夢”なドリームなシチュエーションにうっとりしてしまうヒトは意外と多いのではないだろうか。


つまり

病人がお酒を飲んでいいのか?とか

それだけ外出しまくって入院しているというのは意味があるのか?とか

症状が出ない難病っていうのはだいたいあり得るのか?とか

脳腫瘍ってそもそもほっといていいのか?とか


つきない疑問はけして追求してはいけないのである。


昔のトレンディドラマと同じですな。(笑)

(いつ仕事してんの?とかいう、あれね)


ひたすら王道の恋愛物語にひたりきる、それがこの映画を見るための正しい姿。最後に向かって失速した感はあるが、それさえ守れればひととき夢を見ることができるかもしれない。

ちなみにタイトルの『連理の枝』とは大きく枝を広げる二本の木が、まるで一本の大木のように連なりあう。中国の詩人、白楽天が詠った一節のことである。


私は残された友人二人の方がよっぽど辛いのではないかと思うんだけどね。






今回の試写会はジャパン・プレミアだったので、主演のチェ・ジウとチョ・ハンソン、キム・ソンジュン監督、主題歌を歌うシン・スンフンの挨拶があった。私はシン・スンフンという人は知らなかったのだが、彼が主題歌「僕より少し高い所に君がいるだけ~連理の枝~」を歌い始めると、いきなりブルーのペンライトがあちこちで振られまるでコンサート会場のような雰囲気になったのにははっきり言ってびびりました。(汗)

“バラードの帝王”とも呼ばれる彼は、申し訳ないがどう贔屓目に見てもそんなに格好いいとは思えないのだが(私はキム監督の方がかっこいいと思った)・・・うーむ、やはりあの甘い歌声がポイントなんだろうか?


韓流ブームのエネルギー、いまだ侮れず。


チェ・ジウは相変わらずキュートだけれど、コメントのそつのなさは大女優的な貫禄が出てきたなあという感じ。しかしまあどんどん美しさに磨きがかかってきてるなあ彼女。チョ・ハンソンの髪がモンチッチになっていたのにもびっくりしたが、それ以上にしゃべり下手というか(苦笑)、照れまくっていたのはちょっと意外でした。あれがあれだけプレイボーイが板についてたんだから、ある意味演技力は立派なのかも。(笑)


2006-04-04

第15回 靖国神社奉納夜桜能

昨年はチケット確保に動くのが遅く、涙を飲んだ靖国神社夜桜能。今年もプレオーダーに落選してあわや、と思われたが、友人の協力もあって無事に観桜(能)と相成った。(ほっ)


折しも桜が満開の今年、幽玄な雰囲気で期待はいやでも盛り上がるが、しかしチケットを持った人間の入場にまで列を作る騒ぎにいささか興ざめしたのも事実。人気があるのは知っていたが、もう少しなんとかならないものだろうか。(人混み嫌いなのです(笑))


それでも満開の夜桜の下に陣取ると、ぼんやり浮かぶ上がる能舞台は美しい。電灯のなかった昔はきっとこんな風に見えていたのだろう。席はA席だったので、桜の木に邪魔されて橋がかりがイマイチ見えにくかったのは残念だったが、それはそれで舞台装置と思えば悪くはない。


気になったのが案内のスタッフがまったく気配りもなく立てる砂利道を歩く雑音やや後ろの舗装路と歩く女性のやはり気配りのないハイヒールの音である。お客さんならまだ我慢もするが、会場側運営側の人間がこれでは頭が痛くなる。
(よっぽどお客さん側の方がマナーが良かった)
会場内の席もたぶん絶対に舞台を見る距離ではないところまで広げまくっていてなんだか金儲けが主眼のように見えてしまうし、ある程度は仕方ないにせよ、人気にあぐらをかいたいい加減さを感じたのは非常に嫌な気分だった。


とはいえ、荘厳な雰囲気で行われる火入れ式(ほとんど見えなかったけど)、芸達者な野村萬斎氏の狂言(この人つくづく華があるよなー。ホント動きが美しい)、桜と火あかりに浮かぶ華やかで目出度い能と堪能したのも事実。


やはり能は野外であり薪能だとしみじみ思った一夜でした。



2006-04-04-1
夜桜見物に賑わう靖国神社


2006-04-04-2


2006-04-04-3
夜桜はどこか怖い感じもする
そこが梅とかと違うところ。意志があるように見えるからかも知れない。


2006-04-04-4
休憩時間中にパチリ。



舞囃子「高砂」 宝生和英 他

狂言「入間側」 野村萬斎他

能「七人猩々」 田崎隆三他


2006-04-04

今月の映画 「クライング・フィスト」


映画クライング・フィスト-1



映画クライング・フィスト-2


全てを失い路上で「殴られ屋」としてどん底の生活をする、かつてアジア大会の銀メダリストにもなったボクサーのテシク。引退後に経営していた工場が火災にあい、後輩に貸した保証金も踏み倒され、莫大な借金を背負った彼を捨てて妻も子を連れて家を出て行き、身も心もぼろぼろの負け犬の生活を送っている。愛する息子に頼まれ学校で「パパの授業」に出向いたテシクだが、ボクサー時代のダメージのせいで軽い痴呆を持つ彼は期待通りの授業ができない。追い打ちをかけるように妻の再婚話を聞かされた彼の目に焼き付いたのは、ボクシング新人王戦のポスターだった。

腕っ節の強さだけが頼りの荒んだ日々を送るサンファン。警察のやっかいになる度に父親が頭を下げて引き取りに来てくれるが、大きなケンカに巻き込まれ金が必要になったサンファンは強盗騒ぎを起こし、現行犯逮捕されてしまう。少年院に送られた直後にも問題を起こしたサンファンはボクシングに出会う。最初は反抗的な態度をとっていたサンファンだが、ケンカとボクシングは全く違うことを知り新人としてボクシングを始めることになる。そんな矢先、唯一の味方だった父親が働いていた建設現場で事故死し、過労と心労が重なった祖母も倒れてしまう。

どん底にいる見知らぬ二人の男が人生の再起をかけボクシングのリングで出会う・・・。


どうしてこんなに目がちかちかするのだろうと開始後しばらく思っていた。まるで家庭用八mmビデオ(デジタルでない昔のやつね)で撮ったのではと疑うほど画面は粗く、光の当たる部分は白くハレーションを起こし、影の部分は無惨にも黒くつぶれている。

言い換えれば時代遅れのような画面に映し出される、どう好意的に見ても悪人面の二人の男。まるで交わることも相まみえることもない。過去の栄光に吸い取られてエネルギーが枯れてしまったテシクと、エネルギーを持て余してどうしていいかわからないサンファン。一見まったく違うように見える二人の共通点はたった一つ。唾を吐きかけたくなるような今の自分は自業自得の結果であるということをよくわかっていることである。


画面の効果か、そんな二人をまるで綿密に取材したドキュメンタリーのようなこの映画は、お世辞にもお洒落とかスタイリッシュとか洗練なんて言葉が似合わない。いや、むしろ『汚い映画』。世の中の底辺をはいずり回る人間だけがこれでもか、と出てくる。

普通ならクライマックスである試合のシーンでさえ音楽も最小限度に絞り、無理矢理盛り上げることもないのはいっそ潔いとも言えるだろう。双方実在のモデルがいるというのもフィクション ぽくない一因かも知れない。

だからこそ、どんよりしたテシクの目に光が宿り、反対にぎらぎらとしたサンファンの目が静けさを湛えていく様がとても印象に残るのだろうと思う。


最後の15分間の試合のシーン、そのためにこの映画は存在しているといってもいい。

どちらが勝つのかはらはらとしながら、それぞれの背負っているものを等分に知っているということは、どちらの肩も持てないということを初めて知った。


「春が来れば」でも再生していく中年男を演じたチェ・ミンシク。最初はただの落ちぶれた情けないオヤジが一瞬どきっとするほど魅力的なオジサマに変貌する様は見事というしかない。別にハンサムでも鍛えた体だというわけでもないただのオジサンなのに、まとう雰囲気から変化しきってしまうのだから恐れ入る。最近一番気になる俳優さんである。

対するサンファンを演じたリュ・スンボム。どう見ても悪人面の彼は名優ミンシクに全く負けていない存在感に大物感がひしひし。今後が楽しみなこの役者さんは、この映画の監督リュ・スンワンの実弟でもあるそうだ。


新人王戦で優勝してもサンファンの罪が消えるわけでもないだろうし、優勝金を手に入れ損ねたテシクは借金取りに追われることには変わりないから、結局はまた再び路上で殴られ屋として生きていくのかもしれない。(あの弟分の臓器うんねんがどうなったのかはかなり気になるが)

一見なにも変わることはない。けれど、一度高みに手が届いた人間の後の人生は、そう悪くはならないのではと思うのは私の楽観的な考えだろうか。

だって、彼らは一度でも過去の自分に勝つことができたのだからね。


2006-04-01

今月の映画 「デュエリスト」


映画デュエリスト-1


映画デュエリスト-2


映画デュエリスト-3


朝鮮王朝時代、朝廷の混乱に乗じて偽金が流通、市場は混乱状態に。捕盗庁(泥棒や犯罪者を捕まえるために設けられた官庁)に勤める女性刑事ナムスンは偽金の出どころを突き止めようと動くうちに、怪しい男、剣の達人で“悲しい目”をした刺客と出会う。敵方の人間と知りながら、彼に魅かれていくナムスン。しかし彼を追ううちに事件は急展開を迎え、長官が殺されてしまう。追いつめられたナムスン達は・・・。


韓国映画お得意のお涙頂戴作品かと思っていたらまったくもって裏切られた。舞台はあくまで時代劇調、しかしそのまま現代に持ってきてもまったく違和感のない今風のモダンな映画である。

コンパクトな画面づくりや細かいカットとめまぐるしいほどのスピード感、斬新でアバンギャルドなカメラワーク、スローモーションを多用したアニメチックな戦闘シーン。

映画というよりまさにテレビドラマ的な作り。そのままお正月のテレビスペシャルに持ってくる方がよっぽどぴったりくる感じだ。

テレビスペシャルと例えたのには他にも理由がある。最近多い傾向ではあるけれど、この映画もご多分に漏れず前提条件から時代背景から登場人物の会話の辻褄まで、全く説明されないまま最後まで突っ走る(突っ走るといった表現が一番適切(笑))

あまりのハイスピードさにちょっと調べてみると、この映画、韓国で大ヒットしたテレビドラマ「チュオクの剣」の原作コミック「茶母」(パン・ハッキ作)をベースにしているらしい。おまけに主人公ナムスンもドラマと同じハ・ジウォンときた。

人気コミックにヒットドラマ、どちらが鶏か卵かという議論はさておき、まさにこの映画はこれらのスピンアウトというべき存在だったわけ。全ては既に”周知の事実”であり、そんなものは映画の中で語る必要はなかったということらしい。

日本で例えれば、踊る大捜査線といったところ?


てなわけで、ちゃんと見ていても間があいても大した説明はなされないので、極端な話トイレに立っても途中で居眠りしても理解度にはそんなに大きな差はでない。CMでトイレにいって少し遅れて戻ってきてもついていける”あの状態に近い、と言えば、なんとなくイメージしてもらえるのではないだろうか。つまりはそういう”もん”なのだ。



「彼女を信じないでください」「オオカミの誘惑」のカン・ドンウォンの美青年ますます磨きがかかった感じ(個人的には長髪はいかがなものか、とは思うけど)。

100%吹き替えなしのアクションも拍手ものだ。舞うような剣術が美しい。

「恋する神父」のハ・ジウォンは目が印象的でキュートな美人さんなのに、なぜか肩を怒らせて歩いたり口をひん曲げた表情ばかりしているのがかえってみっともない気がしてしまう。もしかして原作キャラがそういう風に作られているのかも知れないが、ちょっとやりすぎの感ありで、うまいはずの演技が拙く見えてしまうのが残念なところ。もっと普通の女の子像でよかったんだじゃないのかなあ。アクションもがんばっているが、途中で吹き替えが分かるのがご愛敬。

「MUSA -武士-」「シルミド/SILMIDO」等の国民的俳優アン・ソンギは、飄々とした同僚アンを見事に押さえた演技で演じていて、キャスティングの贅沢さは立派なものだと思う。


はっきり言ってお金をかけた作品だけれど、しかしながら本国では振るわなかったようだ。日本公開にあたって、監督の意向で”エモーショナルな部分を意識して”再編集したのだそうだけれど、それがよけいテレビドラマ調になった原因なのだろうか。

別に”テレビ調”がいけないわけではないが、それがどこか小さくまとまってしまった印象に繋がったのであれば残念だと思う。


それにしても、日本刀やら芭蕉の句やら、もしかして監督は日本好き?

その部分の言葉だけ聞き取れるのが、なんだかちょっと可笑しかった。(笑)


プロフィール

hijiri

Author:hijiri
長年のITまみれな生活を経て、着物と煙管、和文化と美しいもの、酒と美食(B級)をこよなく愛する生活。
■日本の文化と”今”をつなぐ再実感マガジンJapaaanでライターやってます。
http://mag.japaaan.com/
■cafeglobe読者エディター、やらせて頂いてます。
http://www.cafeglobe.com/2013/06/030174cafeglobe_readers.html
■ミラーサイトはこちら http://ameblo.jp/hijiri-info

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