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2006-05-21

狂言の舞台にでてきました

先日の日記に書いた”狂言舞台に乱入出演”の件。
おかげさまでなんとかコケもせず舞台から落ちもせず無事に出演を果たして参りました。


夕方集合してまずはリハーサル。楽屋で鬘をあわせ面をつけてもらって、足元も危なっかしくそろそろと舞台へ移動。千三郎先生(数日でも指導して頂いたのだから勝手に弟子になったつもりでいる私)曰く「能面と違って穴が大きいからよく見えますよ」なのだけど、

はっきりいって目の前の人の頭の後ろしか見えません。

望遠鏡みたいに目にぴったり穴が密着しているわけでもないから(面の穴は目から数cm浮いてます)焦点が合いにくくぼんやり加減も想像以上。これで舞台上がってぴょんぴょんしたり叫んだりするの~??(大不安)


区民参加8人の頭の中に同じように浮かんだであろう思いをよそに、さっさとリハーサルが始まる。とはいえ、千五郎家の方々はさらっと流すだけ。私達は一度通しでやらせてもらったが、たぶんそれも素人&初心者だったから破格の待遇じゃないかと思えた。どうも千五郎家の方々は直前の立ち位置確認くらいで済んでしまうみたいだ。
その辺り現代劇の舞台などとは違い、長い時間継承されてきた和の文化の底力ということなんだろう。

普段観ることのないリハーサル風景はものすごく新鮮w。
おおっ、千五郎さんが動いてる!逸平君がしゃべってる!!と、ただのミーハーファンと化す私。


控え室に戻りお弁当を食べたりみんなでビデオを観ながら最後のあがき自主練習して待機しているうちに本番舞台が始まる。三幕目に出演する私達は衣装を着けるためにまた楽屋へ移動。
でくの坊のように突っ立っている私達に千五郎家の方々が自ら着付けてくださる。私の着付けは宗彦さんがして下さったがファンに見られたら後ろから刺されそうな密着度(いや、無実ですから!)。衣装を脱ぐときは七五三さんだったけど肌着がはだけてブラまでお見せしちゃったし(すみません)。
おまけに衣装は全部本物。ホンマにいいのかしらん?

それでも衣装をつけるとなんだかくすぐったいようなうれしいような。
嫌でもテンションが上がってくる。(鬘は重いけど)


楽屋なので当然ご当家の方々も入れ替わり立ち替わり入ってこられるが、これまた当然のように皆さん下着姿でうろうろ、平気で目の前でお着替えになられる。
愛しの千之丞さんもいらして距離にして30cmのところを通り過ぎて行かれたときはドキドキしたが、

肌着+パッチ姿もしっかり目に焼き付いた。

これから皆さんを見る度にまぶしい白い姿が目に浮かびそうでちょっと怖い。



そんなこんなでいよいよ本番舞台。袖で面をつけてもらうと、夜ということもあって視界は限りなく0。はっきりいってめちゃ怖い。
そのまま舞台に乱入飛び出して、気が付いたら全てが終わっていた。本当にあっという間だった。


正直なところ、細かいことを考える余裕もなかったし、「あちゃ~」と思ったところも多数。ついていくのに必死、セリフをあわせるのに必死、タイミングをあわせるのに必死。千三郎師匠にしたって(しつこいようだが一度でも教えて貰ったんだから師匠だ!)本音を言えば目を覆いたくなるような出来だっただろう。
たった数日の練習で舞台にあげてもらえたこともすごいけれど、それはあくまで実際には弟子でもない「ファンサービス」の一環であったからさせてもらえたこと。たぶん千三郎先生にしたって顔もはっきりとは覚えておられないだろうし、そんな『区民A』だから許してもらえたことしてもらえたことがほとんどだろうと思う。


だけど、衣装の重みとか楽屋のちょっとした会話とか。
照明がまぶしかったこととか、雨上がりでまだ舞台がちょっと濡れてたこととか。
私達が舞台に出たときに笑いが起こったこともしっかり覚えている。それがとってもうれしかったことも。

まだちょっと放心状態だけど、それでもやっぱり、


とってもとっても楽しかった。



不安定な天気に振り回されまくり、開幕後のお話だけは室内ホールで行い、その後観客全員が野外特設舞台に移動するというイレギュラー過ぎる展開。お話をされた千三郎先生も「自分の話の為だけのセッティングなんて初めて」と苦笑されてたけど、それでもせっかくだから外でやりたいと、ぎりぎりまでひとつひとつ雨に濡れた椅子を拭いていた設営の方やセンターの職員の方の努力には頭が下がります。
本当にありがとうございました。


一緒に出たお仲間の方々へ。
最初はとまどいながらだったのがだんだんまとまってきて、色々動きの相談をしたり自主練習したり、合宿みたいで楽しかったですね。
ホントにお疲れさまでした。


そして遠路はるばる来てくれたmちゃん、そしてよりによってサイン会で「今日はうちのがお世話になります」としゃあしゃあとほざいたらしい相方殿(冷汗)、観に来てくれてありがとう。



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2006-05-18

新作能 「紅天女」


紅天女


『ガラスの仮面』という少女漫画をご存じだろうか。1976年から連載開始、未だに連載が続いているという長寿漫画である。内容は知ってる人は知ってるだろうが、演技の天才北島マヤと演劇界のサラブレッド姫川亜弓が幻の作品「紅天女」を目指して切磋琢磨する、とまあそういうお話です。

その作中劇「紅天女」を能にしてしまった、のがこれ。


作中劇にしては、時代設定からキャラクターまでかなり細かい設定がされているので確かに一つの作品としても成立しているが、結末はまだ描かれていないし(作者もまだわからないそうな)、なんといっても漫画からの移植だし、初めてこの作品が能になると聞いたときはかなり眉に唾を付けたのは事実。お能ファンというのはかなりのコンサバ、観に来る人いるんだろうかと思ったんだけど、蓋を開けてみれば国立能楽堂で初演されたときは即日売り切れ、大阪でも同じような状態だったらしい。
基本は梅若六郎さんのファンや社中だろうとひね言を言ってはみるものの、そうなると観たくなるのが人間のサガというもの(苦笑)

しかし、なんとプレオーダーでも抽選に漏れ(うおぉぉぉぉぉーっ!)
ここまで来ると既に意地。気合い入れて一般販売でチケットゲットしたというわけ。


#ちなみに能や狂言というのは歌舞伎や普通の舞台と違って一日限りなので(複数日あっても内容は全部違う)競争率が高いのです。



そんなこんなで観に行った「紅天女」だが、想像以上にしっくり馴染んでいて面白く観れた。普通は座りっぱなしのワキがシテ並みにキャラ替わりする演出も面白かったし、梅の精が出てくるシーンの演出の美しさもよかった。
(しかし、あれ能楽堂でやったときはどうしたんだろう??)
考えてみれば、設定自体かなり能の世界に近いもんね。
ただ、最初に出てきた”月影先生”はちょっといかがなものか。能というのはそもそも時間をさかのぼるのを前提としているので、北島マヤや姫川亜弓やらの” 現実”の説明をしてさらに時間軸を増やす必要はなかったのではないかと思う。シンプルに「紅天女」の物語だけを語った方が作品としてスタンダードになる可能性を秘めているのではないだろうか。いわゆる一過性でない、それくらいのクオリティはあると思う。(って随分えらそうだなー<自分)


能はなかなか一般には勧めにくいわかりにくさがあるが、セリフも極力漫画のものを使っているようだから普通よりも聞き取りやすいし、いわゆる夢幻能なので見た目も綺麗。
恋愛話だけでなく自然破壊やらなんやらの話がやたら盛り込まれるのはちょっとえぐみになってしまっているが、漫画のファンだけでなく能の初心者にもとっつきやすい作品かもしれません。

チケットとれれば・・・だけどね・・・。(爆)




2006-05-14

今月の映画 「GOAL!」


映画GOAL!-1


映画GOAL!-2


メキシコから米国へと一家で不法入国し、ロスに暮らす20歳の青年サンティアゴ。昼は父と共に庭師として働き、夜もアルバイトをして生計を立てている彼は地元サッカーチームのスタープレイヤーだった。ある日、彼の試合ぶりを見た元ニューカッスル・ユナイテッドのスカウトマン、グレイは、彼にロンドンへ行き、プロテストを受けるよう強く薦める。しかし、息子と事業を始めることを夢見る父親はプロになるなど夢物語だと反対する。あきらめきれないサンティアゴは・・・。


久しぶりに”正直者が得をする”映画。(笑)

この世知辛い世の中では下手をすると正直者が損をすることも多々起こるようになっているが、この映画の中では正しい者が結果的に良い目を見る。

困ったときには必ず手がさしのべられ、代弁者が現れ、トラブルが発生してもそれを引きずることもなく10分以内には決着が出る(笑)ので、安心して観ていられる。


いい意味で”少女漫画”(いや主人公はオトコだから少年漫画か)的なシンデレラストーリーだと言えるだろう。



とはいえ、別に子供だましな映画ではない。サッカーシーンはさすがFIFAの全面協力を感じさせるド迫力で、見事ゴールが決まればつい手を叩き歓声を上げてしまうに違いない。(実証済)

主人公サンティアゴを演じるクノ・ベッカーにしろ、スター選手ガバン・ハリスを演じるアレッサンドロ・ニヴォラにしろ、サッカー選手についての知識ゼロの私だと「え、えーとこれって普通の役者さん?それともサッカー選手が演じているの?」とつい思ってしまうほど様になっているし、知らないでドキュメンタリーと言われて観たら信じてしまいそうな出来。

お話がシンプルなだけにそういう部分のリアルさは気を配ったのだろうか。計算していたとしたら見事なものだ。


サンティエゴの親代わりになるグレンを演じたスティーブン・ディレンもいいが、個人的に好きなのはサンティエゴの祖母役を演じたミリアム・コロン。彼女の存在感があるからこそこそ家族にこだわるサンティエゴの想いがとても理解できる。

彼の恋人ロズの母親もパンクな感じがなかなかいい味を出していて、ちょい役と思えない存在感に一票。

ベッカムやらジタンが出るという前評判は、その割には出番はちょびっとでかなり拍子抜け(別にファンじゃないけど)。やっぱり出演料が高いのかな?、と下司の勘ぐりをしてみたりして。(笑)


次回作ではマドリッド名門「レアル・マドリード」移籍、そして最終作は今年開催されるドイツW杯で撮影するそうだ。

サッカー好きにはもちろん、そうでなくても家族みんなで楽しめる「シンプル・イズ・ベスト」な正当派の一本です。



今回の試写会は「看護の日」イベントということで、看護学校の生徒さんや先生を招待&白衣を着てくると優先的に入場、という内容だったので、会場は白衣や看護婦さんの制服(固有の名称あるの?)だらけ。あれって数十人単位で集まると壮観ですねー、ホント。

なんだか秋葉原みたいだ、と罰当たりなことを考えた私。(笑)

ゲストで来ていた辺見えみりちゃんはやっぱりかわいかったです。

コメントが随分母になっていて、それにもなんだかしみじみと。さすが外見は変わらずとも一児の母。時の流れを感じます。

 

2006-05-10

狂言の舞台にでます


今月20日に「江東狂言の会」という茂山千五郎家の定例公演がある。
薪能ならいざ知らず”薪狂言”というのはあまり聞かないけど、これに参加することになった。


あ、つまり舞台にでるってことですけど。


こう書くとかなりびっくりされてしまうと思うが、三つ上演される中の一つに『区民参加狂言』というのがありまして、高倍率(?)の抽選に目出度く当選したということなのですね。(ちなみに当選枠は8人でした)
もちろん今更言うまでもないけど、私はど素人ですし、出るのはラスト10分くらい。主演はちゃんと千五郎家の方々です。(爆)


千五郎家の追っかけ(?)を初めて随分色々な舞台も観たけれど、当然舞台裏なんて入ったことはないしどうなってるかもわからない。そもそもあの衣装着ちゃうらしいし、面も着けるらしいし、もしかしなくても千五郎家の方々と同じ舞台に出ちゃうみたいだし、セリフもあるみたいだし(個人でじゃないけど)、そんなこんなでもしかして


千之丞さんと接近しちゃったりしたらきゃーどうしようっ!!
(心配せんでも絶対ないって)



などと勝手に妄想を逞しくしているうちに、月日は流れ本日初めての練習日。
いい加減心臓に剛毛が生えているつもりだったが、電車を降りて向かう道すがら妙にドキドキしてきて、ああどきどきが止まらない~、状態に。
自分にまだこんなかわいい面が残っていたとは、ええびっくりいたしましたわ。(笑)


それはさておき。


本日は足捌きや謡を練習させて頂いたのだが、これが想像以上に難しい。クラッシックバレエからジャズダンスからフラメンコまで一通りかじったおかげで腰を落とすポーズや上半身をふらつかせないことはそう難しくはないのだが(踊りの基本ですな)、体をまっすぐに保つのが苦痛。体をひねるポーズが基本の西洋のダンスと違い日本の古典はまっすぐに動くので、ふわふわとねじりクセがついた体にはとても難しく感じるのだ。(簡単に言えばモンローウォークになっちゃってるのです。(汗))
声もコーラスなどで鍛えてかなり声も大きい方だと思っていたたが、これもまったく全然足りていないのが自分でもわかる。しょんぼり。
同じく参加者に演劇などをされている方がいて、さすがの声量。自分の声なんか聞こえたもんじゃない。


うーむ、これは心してかからないとやばいかも。
軽く焦る。



先生としていらした千三郎さんも「お金を払っているお客様がいる以上、プロとして出るつもりでいて欲しい」とおっしゃっていた。考えてみたら当然で、あちらにしてみれば普通の公演、そこに我々のような素人が一緒にしゃしゃりでるわけで少なくとも最低のボーダーをクリアしてくれなければ洒落にもならないよね。


後、数回の練習でどこまでできるかわからないけど、大好きな千五郎家の足を引っ張らないようとにかくがんばりまっす!




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無料ではないのでお誘いしにくいのですが、もしご興味のある向きは初夏の夜ふらりと覗きに来ていただければうれしいです。

クラブSOJA(茂山千五郎家オフィシャルサイト)

江東区文化センター公演情報
(江東区文化センター 03-3644-8111)

※@ぴあでも「江東狂言の会」もしくは「薪狂言」で検索できます。
(Pコード:367-382)

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2006-05-07

桜さくらサクラ・2006

絵を好んだ祖父や父の影響で子供の頃から美術館や展覧会のたぐいには慣れている。が、ほぼ十割近くが西洋画で日本画というものを意識した記憶がほとんどない。
当然頭の中は白紙に近いし、代表的な作品を見ても「なんか見たことあるかも(教科書の中で)」くらいのことしか思い浮かばない。


とまあ、ここまで書いて「日本画って?」という疑問がふと湧く。個人的なイメージだと水墨画みたいなモノクロの世界とか掛け軸みたいなイメージだけど、調べてみると(狭義では)岩絵の具や泥絵の具と呼ばれる日本独自の方法で精製された色材を膠(動物の皮や骨から作られた接着剤)で溶いた絵の具を主に使って描かれた絵画のことを特に指すらしい。
結構びっくりしたのが水墨画や浮世絵とは異なるジャンルとして定義されていることだ。うーむ、あれって日本画と言ったらいけないのか。(汗)
まあ、広義ではいわゆる日本で作成されたり、日本人が描いたという意味合いでも使われているらしいからあながち間違いではないのだろうけど、うーむ意外。


話を戻してその私的にはまったく無知な”日本画”の中で名前と作品が一致する数少ない画家が横山大観。海外でも評価が高いこの人の「夜桜」が今回展示されているというので、一度生で見てこようと重い腰を上げたというわけなのだ。



ああ、導入部分長すぎ。



さて、日本の心とも言える『桜』をテーマにしたこの展覧会、想像以上に展示作品も多く、また同じモチーフばかりじゃ飽きるかもという予想に反して楽しめた。(このあたりやはり”日本画”とひとくくりにイメージしていたのが理由だろう。考えてみれば海外の美術館なんて下手したら宗教画一色だったりするもんな。(^^;))
名前では思い浮かばなくてもああこの感じ見たことあるなあと思う作品、全然知らなくても「好きだなあ」と思える作品と、色々発見も多かった。速見御舟や西郷狐月などは今回初めて名前を意識したけど、他の作品も見てみたい。


目的であった横山大観「夜桜」はかなりイメージと違った西洋風ダイナミックだったのには正直がっかり。いや、絵としては大変素晴らしいと素直に思うが、私は男性的なのに繊細さを持つ彼の作品が好きなのだ。作成された背景を知ると確かに仕方ないのかと思うが、色合いといい構図といい、ちょっと洋風というか白人の目を意識しすぎの感があったように思う。
まあ、よく考えたらあれだけのサイズの大作は縮小された写真くらいでしか見ないのが普通だから、実サイズだとかなり印象が変わったのもあるんだろう。もう一つ出展されていた小作の方が自分のイメージに近くて好みだった。


桜といっても種類は多いが、お花見でおなじみの染井吉野より垂れ桜や八重桜が多かったのも意外だった。やはり絵にするにはフィギュア的なものが重要視されているのだろうか。
同じように夜桜がテーマというのも多かった。確かに暗い中に浮かび上がる桜は綺麗で幻想的だけど、これが夜一人の部屋に飾ってあったらちょっと怖いんじゃないかしらん。(笑)



2006-05-07

カンディンスキー、クレー、マルク、ミュンター 青騎士の画家たち

青騎士(der Blaue Reiter)とは1911年にドイツはミュンヘンで発刊された、特に美術に関する論文や代表的な作品を紹介した年刊誌の名、また、これに参加した芸術家の一群の呼称。日本ではあまり馴染みがないけれど、例えばイタリアのALESSIなどのモダンデザインが好きな人なら、カンディンスキーやクレーの名前は知らなくても『バウハウス』という言葉は聞いたことがあるはず。
『バウハウス』とは彼らが晩年教鞭をとっていた芸術や建築の総合学校のことで、彼ら青騎士の活動がこのバウハウス理念の礎の一つとも言えるからである。


なんて、ちょっと教科書みたいな書き方になってしまう今日この頃。(苦笑)


絵を見るのにこんな知識は必要ないし、基本は好き嫌いだけでいい。けれど、たまに背景や歴史を知っている方がまた違った楽しみ方ができる展覧会もある。これもそのひとつ。
18世紀くらいまで、特に肖像画なんかはカメラの替わりだった傾向が強いと思うが、このころになるとデザイン的な傾向が強くなってくる。言ってみれば彼らは現代のグラフィックデザイナーやイラストレーターみたいなもので、実際にこの展覧会の作品もポスターの原画だったり本の挿し絵だったりする。そう考えると必ずその時代の流行があったのは当然で、アールヌーボーなんかもそうだし、ここに書いたバウハウスなんかもそうだから、これらの作品からそういう流れを想像したりするのは面白い。
たぶん、文化になってしまったものを見るときには、想像よりも知識で観る方が楽しいことも多いのだろうと思う。


見終わってしみじみ思うのは、彼らにとって絵は手段の一つでしかなかったのだろうということ。たぶん、文章でも彫刻でも建築でも、表現できる手段であればなんでもよかったのではないだろうか。私は抽象画は苦手な方だし、本音を言えばカンディンスキーもあまり好みではないけれど、今回色々見て少し親近感を覚えたのは収穫だった。



展示されている青騎士の年鑑には日本の浮世絵(?)も紹介されているのだけど、作者不明になっているのがちょっと気になる。
いったいどこから手に入れて載せようと思ったのか、そしてそれをどう思ったのか彼らに聞いてみたい気がする。やっぱりゴッホみたいに憧れたりしたのかな?



2006-05-04

今月の映画 「タイヨウのうた」


映画タイヨウのうた


雨音薫、16才。学校に行かず、夜になると駅前の広場で歌い続ける毎日。彼女は、太陽の光にあたれないXP(色素性乾皮症)という病気を抱え、昼と夜の逆転した孤独な毎日を送る彼女は歌うことでしか生きていることを実感することができない。

そんな彼女の秘密の楽しみ、それは、彼女が眠りにつく明け方からサーフィンに向かう孝治を部屋の窓から眺めることだった。太陽の下では決して出会う事のない二人だったが、運命は二人を引き寄せる・・・。



涙には浄化作用があるそうだ。そのせいかなんとなく落ち込んだり疲れているとき、無性に大泣きしたいな、と思うことがままある。けれども実際の生活では”泣く”ってことは案外少ない。

そんなことないわ、私よく泣いちゃうよ、っていう人でも、よく考えればほとんどの場合は悲しいよりも悔しいとか情けないとかいう理由の方が多いんじゃないだろうか。

結果的には『泣けそうな、泣かしてくれそうな映画』を観に行くくらいしか選択肢はないし、その方が人生はおおむね平和だ。

しかし、これがまた難しいんだけど『泣けるはずの映画』で泣けないことの方が多いんですね。なにが壊れているのか、セカチューもタイタニックも冬ソナも軒並み全滅な私。いったいどこに行けば泣かせてもらえるんだ?と叫びたくなることも多々あるのである。(ちょっと大げさ?(苦笑))



さて、白状してしまうが、実はあんまり期待せずに観に行ったこの映画。だって、普通の生活が送れない少女が出会うはずのない少年と出会い恋に落ち・・・ってあなた、思いっきりお涙頂戴モノの王道じゃないですか。

そういうべたべたしたの、悪いとは言わないけど泣けないしさー、みたいな。


勝手にイメージしててごめんなさい。

ホントに久々に泣かせていただきました。






特筆すべきは主人公薫を演じたYUI。初の演技とはとても思えない。本業だから歌も当然うまいし、本人のキャラクターに近いのかもしれないけど、素直になれないしなりたくもない女の子像はとてもリアルで共感が持てる。

うれしいだろうはずの時でも観ている方がはらはらするくらいそっけなくって、でも傷つきやすい女の子。少したって相手に背を向けてから、こっそり本当にうれしそうな顔をしたりするのがまたかわいくて切ない。(人間若いうちはそんなにすぐに感情に反応できるほど、素直でもないし人間もできていない)

孝治役の塚本高史も、古いところでは木更津キャッツアイや最近は倖田來未のビデオクリップ等にも出演していて、どちらかというと今風というかちょっと世をすねたクセのある役が多かったのだけど、この映画では180度違う素直でまっすぐで単純で気の優しい熱い男の子を演じていて、またこれがピタリとはまっている。元々演技力はある方だし、白状すると結構好みの顔立ちなので(笑)注目していたのだけど、現在さらに私的赤丸急上昇中。

頼むからそんなところでそんな目をするな~、って感じ。いや、好みだけの話じゃなくって。(笑)


薫の父親役の岸谷五郎、この人も「月はどっちに出ている」の頃から玄人好みの芸達者な役者さんだったけど、シリアスに泣かせてそのくせどこか笑わせる演技はまさにこの人の真骨頂。病院のシーンなんか思わずもらい泣きしてしまう。母親役の麻木久仁子に親友役の遠山愛里、そして主治医。主な出演者はこの六人だけだが、いずれも変に泣かせる演技もしないし、感情丸出しの演技もしない。だからさらさらと手触りのいい作品に仕上がったのだろうと思う。


なにもかもが押しつけがましくなくて、淡々としていて、だからこそとても切ない。恋に落ちる瞬間とか、想いを振り切る瞬間とか、本当に丁寧に丁寧に描かれている。

最後に孝治は言う。「それからまもなく彼女は死にました」

「亡くなった」でも「天に召された」でも「空に帰っていった」でもない。ただ「死にました」それは事実、そしてそれだけのこと。

そこにどれだけの悲しみや後悔があろうとも心が張り裂けそうでも、彼は生きている。だからそれでいいし、それ以外のことなんて誰にも出来やしないのだ。


どんな出来事でも過去になるし思い出になる。

それが寂しいことも多いけれど、だから人は生きていける。

 

2006-05-04

今月の映画 「ブラッドレイン」


映画ブラッドレイン


18世紀ヴァンパイアが蔓延するルーマニアのとある村。移動サーカスによるフリークショーで、観衆の前に連れ出される若き女性。もがく彼女の両腕を水に入れると皮膚が突然火傷、そして彼女に血を与えるや否や、負傷した腕は再生していく・・・。

彼女の名はレイン、半分人間で半分ヴァンパイアのハーフ・ヴァンパイア<ダムフィア>。そんな囚われの見世物になっているレインはある晩、レイプされようとした時、眠っていたヴァンパイアの本能が覚醒する。

逃げ出したレインは自分自身の呪縛と運命を知り、父親でもあり母の敵でもあるケイガンへの復讐を決意する。伝説のヴァンパイア“ベリアーの遺物”“目”“助骨”そして“心臓”・・・様々な人を巻き込んで、レインの哀しくも壮絶な宿命の対決が始まる・・・。



反射神経か壊滅的にとろいのか、はたまた根気というモノがないせいなのか、とにかく私にはコンピューターゲームの才能はない。

人生○うん年そちら世界には縁のない生活をしてきたので、この映画がRPGゲームを元にし作られたこともそのゲームが大変人気のあるものだということも全く知らなかった。つまるところ、この作品を観るための前提条件というものがカンペキに欠けていたわけだ。


主人公レインは最高の権力を持つダーク・ヴァンパイア(?)である父親を倒すために、様々な人と出会っていく。そういう面では少女の成長物語とも言えなくもないが、とにかく上に書いたように前提となる設定は周知の事実らしいので、例えば彼女がなぜ旅芸人の見せ物になっていたか、とか、父親も仲間も全て倒れた後でどうするんだろうというような前後の部分はまったく描かれない。全ての流れは、

出会い→課題を得る(または道を指し示される)→その課題をクリア→次のステージへ→初めに戻って繰り返し、という

まさにRPGゲームそのものな状態


そんな作品だから、出てくる人物やエピソードにそもそも理由はいらないのかもしれない(?)



とはいえ、難しいことを考えなければある種シンプルが故の面白さもあるように思う。

ハーフ・ヴァンパイアであるが故のレインの悩みや恋、仲間との確執などそれなりのトピックも多く、やろうと思えばかなりシリアスなドラマ仕立てもできたような気もするけど、ファンにとっては実像で動く映像になるというだけで満足度は高いのだろうから、逆にそんなシンプルさが好まれるのかも知れない。実際、アクションシーンはかなりのレベルだし、役者もヒロインには『ターミネーター3』のクリスタナ・ローケンをはじめ、名優サー・ベン・キングスレーやにマイケル・マドセン、ミシェル・ロドリゲスといった結構なレベルのを揃えている。それなりに手間をかけて作られた作品であることは間違いないし、こういう傾向の映画を好む人にはそれなりに楽しめる一本だと思う。



今回は、日活の「GO!GO!ヴァンパイア&悪魔祭り」という(?)イベントの一環だったらしく、ゲストとして川崎麻世夫人=カイヤが実際に が使用した衣装を着て登場。長々としたインタビューにテレビの取材にスチール撮影と、我らが観客まで巻き込んでの大騒ぎで見る前からちょっと疲れた。(苦笑)

しかしカイヤって相変わらず言うこともたたずまいも良くも悪くもパワフル。衣装も結構似合ってたけど、彼女がレインを演じていたら同じシナリオでも全然違った映画になっていたんだろうなあ。いやはや、キャラのイメージって大事だわ。(苦笑)

プロフィール

hijiri

Author:hijiri
長年のITまみれな生活を経て、着物と煙管、和文化と美しいもの、酒と美食(B級)をこよなく愛する生活。
■日本の文化と”今”をつなぐ再実感マガジンJapaaanでライターやってます。
http://mag.japaaan.com/
■cafeglobe読者エディター、やらせて頂いてます。
http://www.cafeglobe.com/2013/06/030174cafeglobe_readers.html
■ミラーサイトはこちら http://ameblo.jp/hijiri-info

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