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2006-06-28

今月の映画 「幸せのポートレート」


映画幸せのポートレート


メレディスは、典型的なキャリアウーマン。積み上げてきたキャリア、エグゼクティブとして成功を収める恋人エヴェレットとの結婚・・・メレディスにとって、全ては“理想”に近づいていたはずだった。

休暇を過ごすため、初めてエヴェレットの実家に招かれたメレディス。大学教授の父ケリーと家族の中心的な存在である母シビルが暮らすストーン家には、年に一度の休暇を過ごすために家族が次々と集まって来ていた。幼い娘を連れた長女スザンナ、次女のエイミー、ロスで映画関係の仕事をしている次男ベン、三男のサッドとその恋人。

しかし、お堅くて冗談も通じないメレディスと自由奔放で何でもオープンに話し合うストーン家の人々はやることなすことちぐはぐでソリが合わない。中でもシビルは、祖母から受け継いだ大切な指輪をエヴェレットがメレディスに贈るよう仕向けてくるのが気に入らない。

自分が家族に嫌われていることに気づいたメレディスは妹のジュリーにSOSを求める。ジュリーも加わった一家揃ってのディナーの席で、さらに取り返しのつかない失態を演じたメレディスは家族からの強い拒絶にあい、ストーン家を飛び出すが・・・。



女性の好感度も高くファッションアイコンとしても評価の高いサラ・ジェシカ・パーカー。実はあまり出演作を観たことがなかったんだなあと今更ながら気が付いた。

特に外見に似合わない高く甘い声に、あ、あれこんな声だったっけ?


そのきんきん響く声であれだけ神経質にまくし立てられたら、


ストーン家の人じゃなくたって逃げ出したくなるっしょ。


ましてや家族とか自分の姉になるなんて、


嫌だと思うのが当たり前。


私だって友達には欲しくない。



本人的には気を使っているつもりなのだろうが、「気を使う」というのは自分のため、「思いやり」ってのは相手のため。ましてや自分をよく見せるために”正論”を振りかざすのはほとんど人害に等しい。

だいたい、

正しいことは、別に偉くもなんともないんですが。


ジェネラルな意味での”正しい”ことはある意味当然。そんなものを声高に叫ぶのは、相手が”間違っている”と指摘することと相違ない。

ここのところを勘違いしている人も多いが、”正しい”ことを言って頭をなでて褒めてもらえるのは子供だけ、基本的に”正しさ”というのは「はた迷惑」なものなのだから、そっと心に秘めているのが”正しい”のだ。(って書くこと自体、既に”正しくない”ことでありますが。(笑))

それを「自分は正しいことをしているから偉い」「正しいことを言っているのだから感心されるはず」なんてのは、まだまだ他人の評価基準しか持っていない証拠。

”正しさ”は自分のためだけでいい。

人を粛正するために使うべきではないし、すがりつくものでもない。


後半出てくる妹ジュリーとの会話から、どこか彼女に対するコンプレックスみたいなものも見え隠れするが、自分のことで精一杯の彼女はきっと自分しか見えていなかったのだろう。それは『完璧』な恋人エヴェレットにしても同様で、だから余計に『理想』に執着し、自分をよく見せようと奮闘した・・・、というのは後からくっつけた考察で(笑)、やっぱり

あそこまでな女

にする必要はこれっぽっちもなかったんじゃないのかなあ。(汗)

どんな理由があるにせよ、ゲイの息子のいる前で、人種の違う人がいる前で、ああいう発言や態度はあり得ない。気に入られるとか以前の問題だ。

飛び出していったメレディスを全員で心配し謝ったりしていたが、「そんな必要まったくないぞっ!!」と心の中で叫んでいた私です。

反省するのは彼女一人で十分。きっぱり。(力説)


おかげですっかり「ストーン家の秘密」の影が薄くなってしまった。

うまく絡めれば、もっと家族愛をじんわりと感じさせることができたのではないかと思うんだけど。


それでも、揃いも揃って芸達者な役者群にウィットに富んだシーンもあちこちにちりばめられて笑えるシーンも多数、見終わった後のすがすがしさもなかなかで、特に若い女性にはお勧めできる作品ではあります。(男性にも、かな?)

ダイアン・キートンはさすがの演技で、すっかりサラが食われてしまっているがそれも一興。見終わった後に、ふと「自分はどうだろう?」と振り返ってしまうような映画でもあると思う。



それにしても、結果的には兄と弟(向こうから見れば姉と妹)が入れ替わっただけの結果って・・・・「理想の結婚」とはいえ、ちょっと安易すぎませんかね?(苦笑)


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2006-06-28

今月の映画 「美しい人」


映画美しい人


サンドラ、ダイアナ、ホリー、ソニア、サマンサ、ローラ、ルース、カミール、マギー。

濁を抱えながらそれぞれの人生を生きていく、美しい九人の女性の物語。


交差しながら淡々とつづられる九人の女性達の物語。

もしかしたら彼女は彼女の過去かもしれないし、同じ時間軸の平行した物語であるのかもしれない。

他人の人生では脇役である人間も、自分自身の物語では傷ついた主人公にもなりうる。自分が傷つき孤独を感じている時、実際以上に周りの人達が順調にやっているように見えるものだけれど、傷つかない人はいないし、重さは違えど澱んだ”なにか”を持たない人もいない。


タイトルの「美しい人」を裏切るように、外観はどうであれ、心が疲労しきっている彼女たちはとても”美しい”とは言い難い。

孤独は言い換えれば空虚感だ。けれど観ているうちに、人生っていうのは”空っぽ”になることもないのだと思えてくる。

まったくなにも持っていない人はいない。振り返れば必ず”なにか”(この映画では「愛」ってことになるのかな)が側にある。それは思い出だったり家族だったり、押し込めていた想いだったり。

それらに気が付いた彼女達は急に画面の中で綺麗になる。

その変化は内心「おっ」と思うくらいだ。


まさにこれが監督の言いたかった「美しい人」なのかも知れない。


さすがの演技力を備えた女優達のゴージャスな顔ぶれ。(グレン・グローズの凄みといったら!)

基本的にワンシーン、ワンカットの画面。

地味な物語を『魅せる』為にはこれ以上の手法はないだろうが、のほほんと観ているという感じでもない。はっきり言って館内の静けさは異様なくらいだったし。

バックに流れる音楽がないということも、観る方に知らずに集中力を課すことを改めて感じた。そういう意味では、贅沢であるけれど観ることにエネルギーがいる映画だとも言えるかも知れない。


それぞれが10分ほどの短い物語の中、「Why?(なぜ」という部分は徹底的に省かれている。サマンサがなぜ服役するはめになったのか、ホリーはなぜ家を出たのか、マギーはどうして娘を失うはめになったのか。


彼女達が一番口にするセリフも「Why?(なぜ」。

なぜ?どうして?どうしてこんなことになったの?


答えはそれぞれの人の中にある。

そう、人生と同じです。

2006-06-22

今月の映画 「初恋」


映画初恋


1968年12月10日。高校生のみすずは男物の警察官の衣装に身を包み、府中刑務所脇で白バイを走らせていた。目の前には東芝府中工場のボーナス三億円を積んだ現金輸送車。一気にバイクを加速させて彼女は叫ぶ。

「止まりなさい!この車にはダイナマイトが仕掛けられている!」

この日から遡ること数年。学校でも引き取られた叔母の家でも居場所がなく、ひたすら読書をする日々を送る孤独な高校生のみすずは、ある日、再会した実の兄の亮に会うために新宿の繁華街へ足を運んでいた。生まれて初めて“仲間”という存在に触れたみすずは個性的な面々が集うジャズ喫茶店Bに入り浸るようになる。兄の亮、女優ユカ、浪人生タケシ、肉体派テツ、お調子者ヤス、そして東大生の岸。岸に対して生まれた切ない恋心・・・。そんなある日、岸がみすずに驚くべき相談を持ちかける。


切ないというよりも、やりきれない映画。

原作は実話なのかフィクションなのか、この本が出版された当時は色々議論されていたが、これがもしも事実であるなら・・・そう思わせる空気が確かにある。


暗い、とにかく暗い『目』がこの映画の最大の特徴だろう。

主人公みすずを演じた宮崎あおいと岸役の小出恵介のあの探るような射るような暗い視線。セリフも棒読みだったり、映画としてもところどころ矛盾も見えるのだけど、それを補ってあまりある。

小出恵介という役者さんをよく知らなくてネットで検索してみたら、出てきた写真が普通の明るい、まさに今時の青年だったのでかなりびっくりした。現在朝の連ドラで主人公を演じている宮崎あおいちゃんにしてもそうだけど、あれだけごっそりキャラが違って見えるんだから見事なモノだ。最近の若い俳優さんで上手い人はとことんうまいんですね。

特に面白いと思ったのは、岸にしたって20歳そこそこの若者だから、画面で観ていると子供っぽいところや危なっかしいところを感じるのだけど、みすずと一緒のシーンだけ、まさにみすずの視線通りに妙にモノの分かった”大人”に見えちゃうこと。

だからこそみすずに感情移入しやすいし、彼女の想いが手に取るように感じられる。

待ち合わせの場所で岸に頭をなでられたみすずのあまりにピュアな喜びの表情。どこか親に褒めて貰った子供にも似ていて、みすずの孤独感に身につまされてしまう。


残された本に書き込まれた岸の想いも、なるべく早く戻るとみすずに言った気持ちにも嘘はなかったのだろうと思う。けれど心よりも理想を選んだ彼の心の中では他にも様々な思い、いろんな言葉が渦巻いていたことは想像に難くない。

その言葉の塊をふるいにかけていけば、残る言葉はたったひとつだけ。

「彼女にはもう会うことはできない」

残酷なのは別れではない。想いもなにもかもが現在進行形のまま無理矢理ひきはがされ、取り残されてしまうことだ。先に進むこともできず、さりとてあきらめることもできず、気の遠くなるような時間の中で想いが朽ちて行くのを待つしかない。

彼はみすずを綺麗なままでおいておこうとした。一人だけ隔離され守られることが本当に彼女のためだったのだろうか。受験結果発表の会場で、自分を呼ぶ岸の声を聞いた気がしてうれしそうに振り向くみすずを見て、胸を締め付けられない人間はいないのではないだろうか。


実際にこの目で見たわけではないが、世の中がエネルギーにあふれ、光と影がくっきりと分かれていた60年代。高度成長期のまっただ中、多くの”豊かさ”にあふれていた反面、そこから転げ落ちていった人間は思いがけず多いように思う。

戦時中に自分よりも国を選ばされたように、自分よりも理想をとることでしか生きることができなかった彼らは、犯罪者である反面、時代が産んだ『被害者』でもあったのだろう。

じゃあ、もしも岸の企みが成功していたとしたら時代は変わっていたのだろうか。

否、たぶん変わっていない。

物事というものは変化しはじめれば劇的に変わるけれど、まだその気配のないものが変わるには膨大な時間がかかる。それを無理矢理「すぐに」「変え」ようとしたら(変えると変わるは似ているようで違う)逆にこちらが飲み込まれてしまうだけ。学生がいくら角材を振り回して声高に叫んでもそれは岸の言うとおり「痛くもかゆくもない」、傷つくのは彼らの方だ。

だからこそ”そんなこと”に人生を飲み込まれてしまったみすずも岸も仲間達も、哀れで悲しい存在なのだ。



映画館で本編が終わり、クレジットが終わっても席を立つ人が誰もいなかったのにはちょっと驚いた。(少なくとも私の視界の範囲では。結構混んでいたのに)

史実でもあるこの事件の結末を変えることはできない。けれど、それでも二人をなんとかしてあげたいと、せめて幸せになる気配でも感じられないものかと願い、かすかな期待を最後まで持っていた人が、私以外にもたくさんいたのだろう。そう思う。



2006-06-19

ナポレオンとヴェルサイユ展

なぜかまたもや手元に「ナポレオンとヴェルサイユ展」のチケットがあったので(謎)、週末の暇つぶしに江戸東京博物館へ出向く。
この博物館へ行くのも初めてなら、実はまともに両国駅で降りるのも初めて。前々から行ってみたかった蕎麦屋「玉屋」でごまだれ蕎麦を食べたりうろうろしていたら、しっかり道を見失った。うーん、なんて幸先いいんだろう。(汗)

ま、結局着いたからいいんだけどさ。


最終日前日ということもあって、入場するのためだけに既に長い列ができている。当然、中も人人人の人の山。うんざり~。
知り合いに何人か既に行った人がいて「肖像画かりでちょっとがっかりした」と聞いていたが、確かに名前もよく知らないような人の絵ばっかりでやっぱり少し拍子抜けする。その割には超目玉なはずの戴冠式の絵なんかレプリカだし、うーんなんだかなあ。
ヴェルサイユはトリアノンも含めて実際に行ったことがあるのでよけいイメージが違って感じたのもあったんだろうけど、とりあえず並べてみました、的な印象が強かったのは残念な気がした。

まあ、それでも宝石とかはやっぱり見応えありますけどね。


ナポレオンについての記述も妙にクリーンで、それもちょっと違和感だったのも一因かも知れない。私はナポレオンというと豊臣秀吉みたいなイメージがあって、どちらかというと成り上がりというかコンプレックスの塊で、不安感の裏返しともいえる権力志向の印象が強い。かわいいといっちゃかわいいとも言えるけど、下品とも言える人間のはずなのにまったく正反対のことがあちこちに書いてある。
いやあ、間違ってもそんな家族思いだったりしないと思うよ?

今回の展示会はフランス側主導で開催されたみたいだけど、そういう影響もあったりしたのかな?などとちょっと勘ぐってしまった。(苦笑)



その後、せっかくなので常設展示の方へ向かうと、


なにこれ、こっちの方がめっちゃ面白いじゃん!


民族博物館系が好きな相方も大喜びだし、ミュージアムショップは私にとってほとんどトラップだし(=危険)、江戸の芝居小屋を覗いたり昭和の民家にあがってみたりと最近流行の体験型展示に、ミニチュアを双眼鏡でのぞかしたりとなかなか小技が効いている。
和モノ好きにはたまりません。よっぽどこっちの方が一日遊べちゃう。(はあと)


時間があまりなくて結局さらっと見ただけだけど、今度はこっち目当てに来ても十分面白そうだな。駅のそばにも良さげなお店も色々あったし、いっそ気分を出して着物で探索してみようかなんて、今密かに思っているところなのです。(苦笑)


2006-06-19
パッケージがかわいいオリジナルバームクーヘン。
甘いものはあまり量が食べられなくて苦手なのに、なぜか昔からバームクーヘンとアイスクリームだけは目がないのです。

これはあんまり甘くなくていい感じでした♪
プロフィール

hijiri

Author:hijiri
長年のITまみれな生活を経て、着物と煙管、和文化と美しいもの、酒と美食(B級)をこよなく愛する生活。
■日本の文化と”今”をつなぐ再実感マガジンJapaaanでライターやってます。
http://mag.japaaan.com/
■cafeglobe読者エディター、やらせて頂いてます。
http://www.cafeglobe.com/2013/06/030174cafeglobe_readers.html
■ミラーサイトはこちら http://ameblo.jp/hijiri-info

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