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2006-11-29

今月の映画 「敬愛なるベートーヴェン」


映画敬愛なるベートーヴェン-1


映画敬愛なるベートーヴェン-2

“第九”の初演を4日後に控えた1824年のウィーン。楽譜が完成しない中、ベートーヴェンのもとに写譜師として音楽学校首席のアンナが訪れる。女性が来たことに激怒するベートーヴェンはアンナを冷たくあしらうが、彼女の才能を知り仕事を任せることに。尊大で傲慢なベートーヴェンだが、ただ一人の肉親である甥のカールだけは溺愛していた。しかしカールがその一方的な愛を疎ましく感じていることに気づかない。
やがて初演の日がきた。難聴から指揮を怖れるベートーヴェンをアンナが助けたことで、彼らの間に師弟愛以上の強い絆が生まれる・・・。


ベートーヴェンには三人のコピスト(写譜師=作曲家が書いた楽譜を清書する職業)が存在したそうだ。これは史実だが、この三人目だけが名前も年齢も謎、だそうである。
この映画で描かれる若き女性アンナはその三人目ということで創作されたフィクション・キャラクターだが、ダイアン・クルーガーが生き生きと演じていて好感度大。エド・ハリスもさすがの演技力で破天荒なベートーベンを演じていて、この師弟愛が史実と錯覚しそうな出来である。

人の才能をけなし、傲慢な態度をとるベートーヴェン。しかしその裏には、不幸な少年時代、創造に残された時間はわずかなのに思うようにいかない苛立ちがある。それを丸ごと感じ受け止めるアンナ。
そこには才能を持つ者同士にしかわからない確かな絆がある。

天才というのは他の人間に見えないものが見えるということ。見えないものが見え、聞こえないものが聞こえるということを才能とも呼ぶが、果てしない孤独感との戦いをも意味する。自分が普通と違うと感じることがどれだけ底知れない孤独と虚栄を伴うものか。うらやましがられるほどの才能は他人を圧倒し倒すことでしか価値を生み出さない。
そうしなければ自分を守ることできないのだから。


第九の初演シーンで二人は同じものを感じ、そして、大フーガという先進的な音楽に皆が背を向けた時でさえ、アンナはベートーヴェンと同じ音を”魂”で聴く。
通常では”存在しない”ものを共有できる相手は奇跡に等しい。だからこそアンナはベートーヴェンにとって母性の象徴であり、神の使わした救いでもあったわけである。


”wash me”--- wish me ではない。「私を洗ってくれ」
ただ体を拭いてあげるだけの行為が、なんて崇高でエロティックなことか。
そして彼は確かにここで清められ生まれ変わったのだ。


それだけでに、これだけの心の繋がりを作り得たはずのアンナの変化や人生がまるで描かれないラストには疑問も残る。
あくまでこの映画で語られるのはベートーヴェンの孤独であり天才であり野性であり、そして彼が作り出した「音楽」でしかないのは、やはり史実にフィクションを絡めることの難しさなのか。

敬愛するマエストロを失ってアンナはどうしたのか。
作曲家になるというアンナの夢は。
そしてアンナの恋は、マルティンは。
そして彼に人生を操られて破滅しかけた甥カールはどうなったのか。

音楽というあの頃には麻薬レベルだっただろう娯楽の為に、人生を捧げ狂わされ熱狂させられたた人々は思いがけず多かった違いない。
そんな一人でもあるアンナというキャラクターをもっと深く描き切ってほしかったと思うとかなり残念な気もする。


そういう意味では評価が分かれる映画でもあると思うが、クラッシックファンならば使われている名曲の数々だけでも楽しめる作品。
劇中12分に渡って展開される第九の初演シーンを観れば、初めてこの演奏を聴いて熱狂しただろう観衆の気持ちを実感できるに違いない。



個人的にはベートーヴェンの隣の部屋で新作を誰よりも早く聞くことを楽しみにしている老嬢が大好きである。
どの時代にも存在しただろうしたたかでミーハーな等身大の人々。彼らのような存在にスクリーンで出会うたび、普段は気に留めない身近な幸せや手にしたものの存在を感じ、そして自分らしい人生を送りたいものだと、そう思うのです。
そう、才能なんかなくってもね、人生はそれだけで楽しいものなのだから。


しかし、偉大な芸術家っていうのはどうしてああ下品なのが多いの?モーツァルトもかなりの変態だったみたいだし・・・・・?


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2006-11-15

花形歌舞伎 in 新橋演舞場


花形歌舞伎


久しぶりに歌舞伎を見に行く。
演目は「時今也桔梗旗揚」「船弁慶」「義経千本桜・川連法眼館」の三つ。3000円程度の破格の値段とスタンダードな演目にうっかりチケットを買ってしまったのだ。(笑)

今回の個人的な興味は能写しである「船弁慶」だったのだけど、確かに衣装も動きも能ですな。前半後半に分かれる舞台構成、間に出てくる舟人なんてアイ狂言そのものじゃないですか。
もう少しアレンジされているのかと思っていたので、ほぼ”まんま”な作りにはびっくりです。

で、残りの二本。
「時今也桔梗旗揚」は自分的にはイマイチ。役者さんがどうのということではなくて、前に「近江源氏先陣館」を観たときも思ったけれど、ああいう『お家もの』はどうもあまり受け付けない体質らしい。
耐えて耐えて苦渋を忍びっていう演歌系は重くて駄目なんですね、たぶん。泣け!って強制されてるみたいで。(苦笑)
だけど「義経千本桜」はすごく面白かった。狐の親孝行話とは知っていたけど、あんなにギャグ満載だとも思ってなかったし。(笑) 三階の花道が見えにくいお安い席にも関わらず、最後のワイヤーアクションで目の前を通り過ぎていったのは大変ラッキーでございましたw。


そういえば、終了10分前くらいにその”すざまじい劣悪環境の”三階席に駆け込んできて、目の前を通り過ぎていく海老蔵に拍手を送り、終わったら周りを押しのけるようにして外へ駆け出して行ったおばちゃん。あれってそのためだけに三階席のチケットも持ってたってことなんだろうか?(手元に二三枚チケットを握りしめていたような気もする)
まあ、その辺は個人の勝手だが、クライマックスの最中に席がどこだとかあーだとかやるのは意識がそがれるのでやめて欲しい。





歌舞伎を見に行くのは、実はまだ二度目。
最初は二年前の勘三郎の襲名公演だった。玉三郎は綺麗だったけど面白かったというよりなんとなく重ったるく感じて、まあ悪くはないかな、という程度。考えてみたらあれは襲名公演二日目で、きっとまだまだこなれてなかったのだろう。
ここのところ能や狂言ばかりで”一日こっきり”に慣れてしまっているので、そういう「観客と一緒に育てていく舞台」というのにはとんとご無沙汰だったせいもあると思う。

今回は演目もさることながら、妙にこの人好きかも、と思う役者を発見したのが面白かった原因かも知れない。実は海老蔵なのだが、オペラグラスで観ているとなんとなくその人ばっかり観ちゃうっていうことが舞台ではあるんですよね。
お茶のCMのヒト、という意識しかなかったので自分でも不思議だけど、彼の舞台ならもう一回観に行ってもいいかも、なんて。



こうやって一度「面白い」と思うと、昼の公演も観たいなとオークションでチケットを探している私がいる。人間の感動というのは正直なもの。我ながら単純で面白い。
そう言えば、狂言もそれではまったんでした。(笑)



2006-11-10

スニークプレビュー 「松ヶ根乱射事件」


映画松ヶ根乱射事件


バブル経済崩壊後の1990年代初頭。とある地方の田舎町にやってきた謎のカップルがきっかけで、小さな町の人間関係が微妙に壊れてゆくさまを、双子の兄弟の葛藤を縦軸にブラックに描く。


一般的な感覚で理解しろってのがそもそも間違ってる、と思う。


頭から女が雪原の上で大の字になって死んでいる。と思ったら、全裸での検視で、糸を近づけてみると鼻から息が漏れていて「まだ生存してます」。
なぜかネズミの駆除に燃える警官と全然似ていないその双子の兄、怪しいよそ者カップル、髪結いの亭主気取りの女たらし、求められれば裸も体も与える少女にボケ老人・・・まともなじゃない人間ばかりの閉じられた世界。

パンフレットには「ブラックなユーモア」と描かれているが、”ユーモア”の部分はどこにあったのか、正直わからなかった。
だらだらと続く息詰まるような空気感は結局最後まで消えることなく、突破口となるような結論もでない。


ただ、そこにそういう人達がいる、それだけ。
見えるヒトには見えるけど、見えないヒトにはなにも見えない。
もしかしてネズミはいなかったのかも知れない。


ありがたいことにここ1~2年は映画はほとんど試写会で観ている。
だから試写会を観に行ったら途中で席を立たないことと後で感想をこうやって書くことを守るべきルールとして決めている。想像以上にホラーよりだったりスプラッタよりだったりしても我慢するし、場合によっては目をつぶってでも(映画観る意味ないけど)最後までなんとか見終わる。言葉をひねり出す。
映画というものに対する自分なりの敬意(のつもり)。

それでも今は映画情報も多く、観る前になんとなく概要は知っているものばかりだから、我慢と言ってもそのシーンをやり過ごせばということがほとんど。
今回のスニークプレビューのように事前に観る作品もわからず、観たら観たで根本的にあわないということはかなりまれなケースではある、けども。

はっきりいって私には観ているだけで苦痛でした。
最後まで座っていた自分を真面目に褒めてあげたい気分、今は。


三浦友和やら川越美和、木村祐一、烏丸せつこなどの演技派も多く、それなりのクオリティはあったと思うし、こういう方向性が好きな人はいると思うけれども、かなり観る人を限定する作品だと思う。少なくとも元気のないときは絶対にお勧めできないです、うん。(爆)

2006-11-10

今月の映画 「プラダを着た悪魔」


映画プラダを着た悪魔-1


映画プラダを着た悪魔-2

大学を卒業し、ジャーナリストをめざしてNYにやってきたアンディ。オシャレに興味のない彼女が、世界中の女性たちが死ぬほど憧れる仕事を手にしてしまった!それは一流ファッション誌「RUNWAY」誌のカリスマ編集長ミランダ・プリーストリーのアシスタント。しかし、それは今まで何人もの犠牲者を出してきた恐怖のポストだった!ミランダの要求は、悪魔的にハイレベル。朝から晩まで鳴り続けるケイタイと横暴な命令の数々、その上"センス、ゼロ!!"と酷評され、キャリアのためとはいえ、私生活はめちゃめちゃ。悩むアンディだったが・・・・。


主人公アンディをはじめとする出演者のファッションを見ているだけでも楽しめる。シャネルやディオール、ヴァレンティノにプラダ、ジミーチュウにマロノ・ブラニクにマークジェイコブス。女性なら一度は身につけてみたいと思うものばかり。
彼ら彼女らが身に付けているものの総額を考えると一瞬頭がくらりともするけど、目の保養としてだけでも充分映画代くらいは出る。
誇張されまくっているとはいえ(これがリアルな世界と思ったら大変だ(笑))のぞき見的な面白さもあって同世代の女性の支持を集めそうな映画だ。


でも、ちょっと待てよ?


ネタバレになってしまうが、「ここで一年我慢すればどんな仕事も思いのまま」と私生活を犠牲にしまくりながらランウェイ誌でのキャリアを積んで行ったにも関わらず、けれども結果的に「自分にはこういう生き方はできない」と辞めてしまうアンディ。
つまるところ、自分の望まない生き方はやめたほうがいいよ、と言いたいのか?
自分のやりたいことをやりましょう、というエールなのか?

華やかな世界に酔ってつい「あー面白かった」になってしまうけど、よく考えたらこの映画の言いたいことがよくわからないのだ。


むちゃくちゃなように見えて、カンペキに私生活を犠牲にして仕事にまい進する鬼編集長ミランダ。彼女がまったくのヒール役であったのならまだわかるのだけど。彼女の内面を垣間見て、仕事ではなく本当に彼女のために走り回るアンディと、その直後に仕事を辞めようと決心するアンディがうまく重ならない。
まあ、それでも仕事というものは割り切ればそういうものなのかもしれないし、それはそれでいいのかもしれないけれど、アンディの”腰掛け度+幸運度”にがんばってるアシスタント仲間のエミリーなど必死なスタッフ達が気の毒に思えてしまう。
どちらかというと、望み通りの仕事を得るラッキーはこの世の中でも数少ない幸運。それよりも目の前の仕事を一生懸命やればいつかきっと、みたいな方がすっきりしたような気もするんだけどな。



オスカーを二度取ったメリル・ストリープがさすがの貫禄でミランダを演じている。ほとんどのシーンが無表情、全体的に押さえ気味の演技なのに、自信満々な表情の中に”悪魔”なりの意地と苦労がにじみ出る絶妙な演技はすばらしい。彼女クラスでなければ説得力にかけたただのゴーマンなおばさん像になってしまっただろう。
主人公アンディを演じたアン・ハサウェイも想像以上にキュートだし、多分ダサさを出すために体重も増減したのだろう見事な変身振りが素晴らしい。
ちなみに個人的にはナイジェルを演じたスタンリー・トゥッチがお気に入り。パリコレの場面に、デザイナーのヴァレンティノ・ガラヴァーニや、スーパーモデルのハイディ・クラム、ブリジット・ホールが本人の役で出演しているのも見逃せないポイントだろう。



次の職場の採用担当者の問い合わせに「彼女を採用しないのは損失だ」とミランダが答えたと聞いて、驚くアンディ。
彼女はけして望んで仕事をしていたわけでもないしミランダのやり方を否定した人間。けれどももしかして巨大過ぎる自分の虚像に群がる信奉者に囲まれているミランダにとって、”ひとりの人間”として向かってくるアンディのような人間が必要だったのかもしれない。


 

2006-11-07

18th Y Project 「ブラック・レイン」

来る11月11日よりユナイテッドシネマ豊洲で開催される(らしい)「松田優作18th Y  プロジェクト」。
そのプレオープニングでデジタルリマスター版の「ブラック・レイン」を上映するイベントに当選したので行って参りました。


ちなみにこの映画は1989年の作品。
もう20年近く経つんですねえ、しみじみ。
関西人である私としては、舞台になっている大阪の街の風景にも感慨深いものがあります。


ご存じの通り、松田優作氏の命日は11月6日。
ええそうです、不詳私の誕生日でございます。(爆)
自分の誕生日が人様の命日っていうのもかなり微妙なものがありますが(しかも二人!もう一人は本田美奈子嬢)、久しぶりに見た「ブラック・レイン」は時代を感じるとはいえ大変面白かったです。最近のハリウッド映画はイマイチだから余計。(苦笑)
どちらかというとまだまだ泥臭い大阪の街があんなにスタイリッシュな舞台になるんだもんね。

それに今のデジタルの技術ってまじですごいです。
現在日本で最大サイズのスクリーンに撮してもなんら遜色のない、くっきり綺麗な画面はちょっと感動ものでした。



しかし、なんであんなに高倉健ってかっこいいの。
派手な動きもセリフもないのに、もう男としてカンペキ。脂ののりきった時期のマイケル・ダグラスに全然負けてません。
ってか、


正直言って、食ってます。



優作さんもかなり印象深いですが、やはり健さんのオーラからみるとまだまだ若造っぽさが匂い立つ気が。命日記念イベントとしてはこういう感想もどうかと思うけど、これはやっぱり”高倉健の映画”でしょうな。
確かに優作氏があのまま生きていたらとも改めて思ったけど。




それにしても、最初のトークに内田祐也氏が出てきたときは、あまりの老けぶりにかなりの衝撃が。
本当に時の経つのは早いもんですね・・・・・いやはや。
2006-11-06

今月の映画 「サッドムービー」


映画サッドムービー


愛はどうして終わる瞬間に一番輝くんだろう。

消防士とニュース番組の手話キャスターとして働く女性、聴覚障害者の女性とその彼女がアルバイトをする遊園地に毎日やって来る似顔絵描きの青年、3年間無職の生活を続ける青年とスーパーのレジのパートタイマーの女性、キャリア・ウーマンとして働く母親とその息子という4組のカップルが織り成す様々な別れのスタイルを描く映画。


タイトルからして悲劇であることは明確。

そういう意味では結末は見えているのだけどある物語では主人公である人間が、他の物語では脇役として重要な役割を演じる、そんな四つのカップルのエピソードが自然に絡み合った構成はなかなかよく練られていたと思う。

正直に言ってしまえば、二組が姉妹の設定なのでどうしてもそちらがメイン的な印象が拭えず、他の二つ、特にチャ・テヒョン演じる”別れさせ屋”のエピソードは無理矢理絡めた感じもあって少しくどい気もする。多すぎる物語のせいで全部の感動が薄まってしまったような・・・せいぜい二つか三つ程度に絞ってもう少し深く掘り下げた方が、最後に「泣ける」率は高まったのでは。


今の韓国映画界を代表する俳優たちが一堂に会しているのがまずは大きな見どころでもあるし、その期待は裏切られない。

「私の頭の中の消しゴム」のチョン・ウソン、「僕の、世界の中心は、君だ」のチャ・テヒョン、「アメノナカノ青空」のイム・スジョン、「甘い人生」のシン・ミナ、「ビッグ・スウィンドル!」のヨム・ジョンア、「ラブストーリー」のイ・ギウとまあ、よくもここまで揃えたという感じ。皆、演技は確かだし、やはり旬の空気のせいか表情や仕草に華がある。特に姉妹役のイム・スジョンとヨム・ジョンアは見ていて感心するほどキュートでかわいいし、チョン・ウソンの不器用な消防士もなんともかっこいい。

(最後はちょっとベタだけど)

どこにでも転がっているような物語が、特別なラブ・ストーリーになったのはこれらの役者の魅力に追うところは多いのではないだろうか。


失ってから改めてわかる想いはある。

だからかしれないけれど、彼らは皆失うことが怖くて一歩も進めないようにも見える。

けれども、だからこそ失ってからその”もう一歩”を踏み込んでいればよかったと後悔しているようにも見えるのだ。

もしかしたら、晴れて夫婦になっていたかもしれないし、留学した彼とも付き合いを続けて行けたかもしれない。もっと早く本気になれば彼女を失わなかったかもしれないし、闘病生活も違ったものになったかもしれないのだ。


そんな『怖さ』を抱えて立ちすくむ彼らはとてもせつない。

本音を言えば、歯がゆい気持ちもないでもない。

けれども、だからこそきっと彼らは次はきちんと前を向いて踏み出して行くだろう。

そんな、どこか未来を感じるところがすがすがしく勇気をくれる映画です。




この映画の宣は、かなり長い間あちこちで目にした。

映画の予告とかWebタイアップとか、なんだかとにかく宣伝しまくっている印象が強かった。

実は試写会もなんと四回も当たった。私の運の問題も少しはあるのかもしれないが、それだけ試写会も大々的にやっていたということなんだろう。


そういう感じだったから、なんとなく既に中身は分かっているような、なんだか既に自分の中では古びた印象があって。

だから、実際に観て想像以上にいい映画だったから、なんだか肩すかしのような気がしたのも事実。


そういうのって、ちょっともったいないような気もしたかな、うん。



プロフィール

hijiri

Author:hijiri
長年のITまみれな生活を経て、着物と煙管、和文化と美しいもの、酒と美食(B級)をこよなく愛する生活。
■日本の文化と”今”をつなぐ再実感マガジンJapaaanでライターやってます。
http://mag.japaaan.com/
■cafeglobe読者エディター、やらせて頂いてます。
http://www.cafeglobe.com/2013/06/030174cafeglobe_readers.html
■ミラーサイトはこちら http://ameblo.jp/hijiri-info

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