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2006-12-23

今月の映画 「ありがとう」


映画ありがとう-1


映画ありがとう-2

基本的にここに感想を書くのは試写会で観たもののみ、と決めている。まあここ数年めったに正規で映画館に行くことはないが、鑑賞券を頂くこともあるし、ビデオやテレビ放映を入れるとえらいこっちゃな数になってしまうから。

まあ、単に自分の能力が追いつかないだけですが。(笑)


今回の映画は観よう観まいか迷っていたし試写会も掠らなかったし、なんて思っていたら公開最終日前日になぜか鑑賞券を頂いてしまった。
これは神様が観ろと言ってるんだろうと(苦笑)、覚悟を決めて観てきました。




前半と後半のトーンが全然違ってるなとか、
ゴージャスな出演者陣なのになんかみんな印象が薄いなとか、
(つーか赤井秀和キャラ濃すぎ、まんまやん、みたいな)
予定調和な結末ですね(でも実話なんだよな)とか、


後から思ったことは色々あるんだけれど。



前半の震災シーンで理性はほとんどふっとんでました。
本当に吐きそう。まさに半泣状態。助けてママン。


私は直接あの震災を体験したわけではないから、とてもえらそうなことは言えないのだけど。何度もこの日記に書いてるけど、私のほとんどの親戚関係は神戸在住で、でもけが人も亡くなった人もいなかったラッキーさだったし。
でも、あの日テレビの前でなにをすればいいのかわからないまま同じような半泣状態で画面を睨みつけていた時間を思い出したらめちゃ泣けた。
まるでゴジラが踏みつけたような壊れようの災害一ヶ月後になんとかたどり着いた神戸の街を思い出した。
あんな苦しい悲劇を映像で追体験するのは「その後」を知る一人として、ある意味”拷問”でした。



やっぱり想像よりも実体験(作り物でも)の方が全然重い。
そして悲劇は他人事だと思えるから、エンターティメントとして成立するんだと改めて思う。


ある意味後半のほのぼのさ加減は腹立たしいほど。
放心状態で観てました。



よくも再現したと思える震災のシーン。
広がっていく火事と逃げまどう人々。
知っている風景が映されるたびに身がよじれそうな気がした。
ふと、あのツインビルの悲劇を目にした人は、映画「ワールド・トレードセンター」を観たときに同じように感じたのだろうな、と思いました。



てなわけで、まともな感想はやっぱり書けません。ごめんなさい。
でも、それでもたぶん観てよかったと思うし、観るべきだったのだろうと思います。


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2006-12-19

今月の映画 「大奥」


映画大奥-1

映画大奥-2


時は正徳二年、第七代将軍・家継の時代。御歳五歳という幼い将軍を巡って、江戸城では熾烈な権力争いが表面化しようとしていた。第六代将軍に取り立てられ家継の後見人として摂政の地位を占めた側用人・間部詮房。能役者からの出世という経歴とその振る舞いを快く思わない大老・井伊掃部頭直該を始め、他の老中たちとの醜い権力争いが表面化する中、大奥でも、先代将軍未亡人・天英院と若く美しい将軍生母・月光院との女の意地を賭けた闘いが繰り広げられていた。そんな混沌とした大奥に、月光院の推挙で早くも御年寄に昇格した絵島は、庶民出という経歴ながら聡明で月光院の信頼も厚く大奥での人気も高い。そのことが対立する天英院派の不満を募らせ、ついには月光院もろともけ落とそうとする陰謀の矛先となる・・・・。



日本最初の試写会である今回は出演者による舞台挨拶もあったのですが、主演の仲間由紀恵、 西島秀俊、井川遥、及川光博、杉田かおる、松下由樹、浅野ゆう子、高島礼子に主題歌を歌う倖田來未が揃い踏み、という豪華さです。


こういう場合は当然「仲間ちゃん、綺麗だったよ!」とか言いたいところなんですが、いつもの試写会のつもりでのんびりと出掛けたら二階席だったので、残念ながら


衣装も判別できないくらい豆粒でした。(爆)



映画の方も負けず劣らずゴージャス。
脇役も女性陣は言うに及ばず、男性陣でさえ藤田まことやら柳葉俊郎やら岸谷五郎やら、どの人をとってもピンで主演ドラマが作れちゃうぞ、なレベル。


膨大な制作費はほとんどが出演者のギャラじゃないか


と思わず勘ぐりたくなる素敵さです。


とはいえ、テレビシリーズの方もいい加減豪華な作りだったので、映画になってもそんなには印象が変わらないな(=女性って恐いもんだなあ)、と思いつつ見ていたのですが。


やられました。


最後の最後で泣いてしまいました。


だってー、あの最後にほほえむ新五郎はあまりに反則なんだもん!


新五郎役の西島秀俊さんという役者さんは、実はあんまり印象になくて、朝の漣ドラに出てた線の細い人、くらいだったんだけど、あんなに美形だったんですね。
私の最近の大プッシュ美青年は成宮君ですが、負けず劣らず綺麗です。美形歌舞伎役者という役柄も、まあちょっと男性的に過ぎるけど充分納得です。好みじゃないけどどきどきしましたもん。
ちょっと得体が知れなさすぎて絵島があれだけ惹かれる意味がもう一つわかりにくかったのが残念ですが、まあ好みはそれぞれだしその辺は深く追求しません。(苦笑)

仲間ちゃんも相変わらず美しい。私は彼女の美形さもですが、しゃべり方の上品さというか美しさがとても好きなので、今回のようなきりりとした知的な美女役はとても満足でしたw。



なんかつい豪華さに酔ってミーハーよりの感想になってしまったので、ここらでまともな感想をば。


女の怖さ、哀しさを描いたこの大奥シリーズ。随所にそれを感じさせるエピソードがあるが、私は天英院の手先として、いわゆる陰謀の実行犯である宮路が新五郎を誘惑しつつ身を翻し、けれども彼の楽屋で彼の羽織を見ながらためらうシーンが一番印象に残った。
すっかりワイドショー常連になったしまった杉田かおるだけど、十代の頃から培った演技はやはり確か。
察するにたぶん宮路も”男を知らない”女性だったのではないかと思うが、たった一度触れた男性という存在に大きく揺れてしまうところが大奥の悲劇というかとてもせつない。


天英院にしても月光院にしても、結果的には同じように情を通じた男性を自身の存在の支えにし、そしてそれらに翻弄されている。月光院が恋の病(笑)で寝込んでしまうところは現代の私達には理解はしがたいが(ってか、相手の名前をうわごとで呼びまくるってどうよ(笑))、若くして生きる屍としての生活を余儀なくされていた彼女たちにとっては、もしかして相手の男性がどうというより、自分を見て、感じて、底なしの孤独から一瞬でも救いあげてくれる存在が想像以上に『必要悪』だったのかもしれない。



舞台挨拶で仲間ちゃんだったか、高島さんだったら忘れたが、この作品には色々な要素が詰まっているので、どんな方にも必ず心に残るセリフがあると信じている、という挨拶があった。


私にとって心に残ったのは、最後で江島が月光院に言う

「たとえ一夜だけだったとしても、その後はもう余生と思える程の恋でございました」

というセリフである。(細部はうろ覚えなので突っ込まないで下さい(汗))


たぶんあの一夜、彼女たちは「愛してる」だの「好きだ」などとお互いの思いを確かめあることもなかったに違いないし、賢い絵島は新五郎が自分を陥れる為に接近しているのではと薄々感じていたくらいだったのだから、疑心暗鬼も大きかっただろう。
確かに言葉で確かめなくても、どこか目と目を合わせれば感じられる想いがあることは私にもわかる。けれども、下手したら”ゆきずり”といってもいいくらい淡く、不確かな逢瀬なのである。


それもたった一度の。


けれども絵島は彼の誠を信じたし、新五郎も彼女をかばい死刑になって潔しとした。
お互いもう二度と会わない相手と知っていたにも関わらず。
絵島は結果的には生き残ったけれども、想う人の最期をあのように見届けた後ではただ命長らえただけの屍だろうし、肉体と精神の違いはあれどもたったそれだけ逢瀬の為に”死んで”しまったことには変わりない。
死を引き替えに受け入れられる程に信じられる、自分自身の”想い”。


その後の人生を全て「おまけ」と思えるなんて、考えたら本当にすさまじい恋だ。


言葉が全てとは思わないし、確かに一度会っただけでも心に残ってしまう相手というのは存在する。主題歌のタイトルのように「運命」というには安易な気もするけれど、そんな”自分を信じられる”恋に巡り会ってしまった彼らは、上に書いたような”ささえのような恋”にすがる人々よりも、もしかして幸せだったのかもしれない。


激しい熱情よりも穏やかな想いの方が楽だし心地いい。そんなことはよく知ってるし今更揺るぎないけれど、それでもなんだかちょっと羨ましいような気もする。

2006-12-18

なんちゃって茶会へようこそ、再び


毎度おなじみ(?)我が家で開催しております「なんちゃって茶会」
二度目の今回は持ち寄り懐石の会と銘打ち、昼間から懐石→お茶なんていう無謀なコースを設定してみました。

2006-12-18-1 2006-12-18-2

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一汁三菜が揃えば一応懐石なんですが、思いがけない差し入れも頂きそれ以上の盛りだくさんさ。

でも、なぜかうちでこういう会をやると誰も食べ終わるまで撮影することを思い出さないのよね(私もだけど)
今回は途中で気が付いたので、なんとか・・・でも全部食べかけ。(笑)


2006-12-18-5
お菓子は私の担当なので、クリスマスっぽくにチャレンジ。
でも白あんを柔らかく作りすぎてちょっと失敗。


今回はすごい偶然もありました。

今は季節的には『炉』の時期。いわゆる釜をかけるところ(炉)には夏用と冬用があります。冬用が『炉』なんですが、うちの釜は『風炉』(=夏用)でして、さてどうしようかなーと悩んでおりました。
別に風炉でいけないわけではないけど、手前が炉を前提にしているのでやりにくいんです。

しかし、人間思い込むとどこからか救いの手が差し伸べられるものですね。
前日お稽古に行ったら、なんと先輩が手作りの置き炉(畳の上に置くタイプの炉)を下さると!どうも先週末たまたま出物があって”本物”をお買いあげになり、ご主人が作られた手作り版の方を私にあげようと思いつかれたらしい。

やっぱり「欲しい!」の思いは大事だと、しみじみ思った一幕・・・・。


2006-12-18-8
おまけに当日の朝、わざわざ届けて下さいました。
手作りとは思えない出来に参加者全員感動。
素人の作には見えません。




それにしても帯を締めた状態で、昼間から食べまくり飲みまくり(懐石にはお酒というのはつきものです)
いやほんと、何処に入ったのだろうか自分でも不思議。
脂肪になってないことをせつに願う・・・・(遅いよ)


ご参加の皆様、またやりましょうね♪



2006-12-15

今月の映画 「百万長者の恋」


映画百万長者の恋-1


映画百万長者の恋-2

ある財閥の三世、カン・ジェギョン。我がままで傲慢な彼は、ありあまる金に物を言わせ、思い通りの人生を送ってきた。18歳の誕生日を迎えた彼は、亡き祖父の遺産を受け継ぎ、正真正銘の大金持ちになる……はずだったが、亡くなった祖父の遺言は「遺産を相続するには、田舎のボラム高校を卒業すること」
止むを得ず、田舎の高校に転校したジェギョンはこの学校に通わずに遺産をもらえる方法は“退学”しかないと考えあの手この手で退学になるよう試みるが、気のよい村の人々相手にはまるで思い通りにならない。イライラが募るジェギョンはいつの間にか同じクラスの班長ウナンのことを意識するようなっていく。しかし、ある日突然彼女が倒れ・・・・。



韓国映画でこのあらすじとくれば、見る前から結末はだいたい想像がつくというものだ。絵に描いたようなわがままお坊っちゃまに孤児の美少女、パターンなキャラクターの田舎の人々やクラスメート。
だいたい今時”百万長者”って表現からしてどうよ、みたいな?(笑)

それって同棲ってことでは?とか、卒業写真に手をつないで写っていいのか?とか、名作サウンド・オブ・ミュージックはそんな話だったっけ?とか、相変わらず突っ込みどころは満載だけど、高校生が主人公のせいかくどさは少し軽減されていて、かわいらしい感じさえする。


市場をクラスメートと歩いていて、ジェギョンが「ここは1万ウォンで人が幸せになる不思議なところだ」と心でつぶやくシーンが印象に残った。1万ウォンといえば、だいたい日本円にして千円くらい?ある意味とても豊かなことが妙にリアルに感じたのは、まだまだあちらではそういう場所も多いからだろうか。
韓流を観ているといつも思うことだけど、あちらはまだまだ自然が豊かなのかどこかまだ泥臭さを感じる都会の風景と違って田舎の風景が本当に美しく絵になる。
思いっきりウソ臭いご都合主義の物語でも、どこか「まあいいか」と許せてしまうのはそういう「ホント」を感じる部分ががどこかしらにあるからなのかもしれない。


主人公ジェギョンを演じたウォンビンも確かにハンサムだけど、ちょっとくどい感じ。ま、この辺は趣味の問題もあるけど、私はそれよりもウナンを演じたイ・ヨニの可愛らしさには感動でした。寝癖がついた格好でさえなまあキュートなこと!(萌)
いやーホントに韓国の女優さんってなんでああ美形ばかりなんですかね、肌もつるつるだしー。ため息。


お約束のベタなお涙頂戴物語に特筆すべきものはない。が、いわゆる超定番のわかりやすい恋愛モノが観たいのならばいいかもしれません。
もしかしたらちょっと恋がしたくなるかも?しれないよ。(笑)



それにしても高校生がフェラーリって。(苦笑)
・・・ん?韓国って運転免許、何歳からなんだろ??

2006-12-12

今月の映画 「エラゴン」


映画エラゴン-1


映画エラゴン-2


映画エラゴン-3


かつて竜と心を交わす誇り高き戦士、ドラゴンライダーによって反映を極めた国アラゲイシアは、今では裏切り者ガルバトリックス王の圧制の下、民は苦しい生活を送っていた。善良なるライダー族とドラゴンは滅ぼされ、現存するドラゴンの卵は三個のみ。
農場で暮らす15歳の少年エラゴンは、ある日、森の中で光を放つ青い石を見つける。その石こそ、世界の運命を握るドラゴンの卵だった!卵からかえったドラゴン・サフィラを密かに育て始めたエラゴンは、王が放った魔物に叔父を殺され、自らの運命を悟る。彼はドラゴンライダーとして選ばれたのだ。大きな使命を負い、サフィラ、語り部ブロムとともに旅立ったエラゴンだったが、彼を亡き者にしようとする魔の手が迫る・・・。


ドラゴンはともかく、エルフやドワーフ、受け継がれた剣に魔力、出生の秘密と孤児、伝説の勇者にいにしえの呪文、裏切り者が支配する暗黒の世界、そして選ばれた少年・・・・。

どこかで目にしたことのある、聞いたことのある要素がてんこ盛り。


ブロムはどう見てもオビワン・ケノービだし(一作目で死んじゃうのはびっくりだけど)、
刺客との戦闘シーンはどう見ても「ロード・オブ・ザ・リングス」だし、
だいたいがドワーフとかエルフなんて言葉自体が「指輪物語」だし、
選ばれた戦士とかなんとかなんてまんまジェダイの騎士だし、

そう思って見るとドラゴンを駆る主人公エラゴンを演じるエド・スペアリーアスもユアン・マクレガーに見えないこともない。(爆)


ファンタジーは老若男女誰でも受け入れやすいジャンルだと思うが、唯一のネックはいわゆる「特有の用語」ではないかと思う。
ハリー・ポッターが流行った頃は用語集なるものまで出版されたくらいだし、その世界に入り込むにはその世界のルールが理解できていないことには話にならない。
時代劇なんかも同様で、例えば水戸黄門の印籠がどんな悪人でもひれ伏せさせることのできるとびっきりのシロモノだと知っているからこそ、あのおなじみのシーンをわくわく待ち望むことができるのである。


その点、この映画はどこもかしこも”どこかで観たような”というシーンのてんこ盛り。用語にしても出てくるキャラクターにしても「?」なものはまったくない。ファンタジー界の水戸黄門と言ってもいいのではないだろうか。(褒めてます)
定番の強み。シンプル・イズ・ベスト。
かなりのご都合主義とあっけなさと展開の強引さに目をつぶれるなら、冬休みの家族連れにはお勧めできる作品かと思われます。


念の為。
例えヒット作のパロディ的としても、例えば「ロード・オブ・ザ・リングス」レベルのクオリティを保つのはたやすいことではない。と言うかパロディの方がアラが見えやすい分だけ、お金がかかる。
この作品は最後のクレジットに「スロヴァキア・ユニット」とあったからロケはスロヴァキアでしたらしいが、美しい自然といい迫力のCGなど、どれをとっても映像的なクオリティは一級である。
それは書き加えておきたい。


もうひとつ斬新(?)と思ったのは、いわゆる善の側であるヴァーデン軍人々の出で立ちや人種が、いわゆる黒人系、土着民系(エスニックともいう)になっていたことだ。指揮官も姫君も黒人だし、エルフの姫であるアーリアの格好にいたっては頭に羽根をさしたインディアン風。
今までのファンタジーだと、割と白人賛歌というか、敵役の方が土着っぽいイメージで展開されていた方が多かったように思う。(正義側が白っぽいというか文化的白人的なイメージって感じかな)
少しあざとさを感じないわけではないけれど、新鮮な感じを受けたのも事実。ネイティブがえらいかどうかはさておき、そういう差別的なものを排除しようとしたのだったらちょっといいんじゃないかな、と、これは個人的感想です。

ただの演出だったら寂しいけどね。(笑)

2006-12-10

ベルギー王立美術館展

好きな画家。
マグリット、クノップフ、ヤン・トーロップ、デルヴォー、ビアズリー、ターナー、ユトリロ(順不同)
・・・思いっきり系統も脈絡もないラインナップですみません。


最近はジャパニーズ方面に走っているとはいえ、彼らは私の永遠のマイ・フェィバリット。このうちマグリット、クノップフ、デルヴォーの三人の作品が大量に所蔵されているので有名なベルギー王立美術館はベルギーの首都ブリュッセルにあります。
お隣のオランダの首都アムステルダムからも、実はせいぜい二時間程度という近さ。オランダ滞在が決まったとき、それを知って狂気乱舞したもんです。
そりゃもちろん、せっせと通いましたとも。たぶん五回は行ってると思う。(断言)


前置きが長くなりましたが、今回そんなマイ・ラバーな作品達に生で久しぶりに会える機会とあっちゃ、そりゃ行くでしょ。



量も多く、見応えのある展示会ではありました。
でも実は今回展示されていた作品には見覚えのないものが多かった。
確かにブリューゲルの「イカロスの墜落」とか有名どころは観た記憶がある。けど、半分以上覚えがないってのはどうよ?!

確かにあそこは広い!
広いし常に改装ばっかりしていてどこかかしらフロアを閉めてる!
閉めたら2年程度は当たり前というぬるい文化の場所だっ!
(カンケーないが滞在4年間結局パリのオランジェリーは閉めたままだった・・・ちっ)

それでもついこれって「普段出してない貸し出し用の奴ばっかり持ってきてるんじゃないの?」と勘ぐったことをここに告白します。(すみません)

だって、


確かにブリューゲル(父)の「イカロスの墜落」はあるけど「ベツレヘムの戸籍調査」は!?

クノップフの「接吻」はっ?!(泣)

マグリットが「光の帝国」一枚ってどうなのよっ?!(絶叫)
(確かに代表作だけど)


相変わらずの頂きモノのチケットだったのでまだ自制がききましたが、自前で金払ってたら

危うくちゃぶ台をひっくり返すところでした。


ぜーったい、嫌がらせに違いない。
ああ、私の愛する作品達・・・・うえーん!


2006-12-10-1
時期なのか美術館でさえライトアップ

2006-12-10-2
なんだかフランドル派の絵みたいな夕焼けの風景に思わずパチリ。



2006-12-06

今月の映画 「マリー・アントワネット」


映画マリー・アントワネット-1


映画マリー・アントワネット-2

オーストリア皇女マリーは、14歳にしてフランス王大子ルイ16世の元へ嫁ぐことになった。結婚生活に胸を膨らませて嫁いできた彼女を待ち受けていたのは、上辺だけ取り繕ったベルサイユ宮殿の人々と、愛情のない夫婦生活。ルイは必要な事以外はマリーと口もきかず、同じベッドに寝ていても、指一本触れない。愛情深く育ったマリーだったが、悪意溢れる噂に傷つき、やがて贅沢なドレスやパーティーに心の安らぎを求めるようになるのだが・・・。


よくも悪くもソフィア・コッポラらしい映画である。

十代で異国に嫁ぎそのままフランス王国の王妃になってしまったアントワネット。彼女の孤独はよく感じられるし、史実にあるような”王妃”でなく、等身大の”マリー”という少女を描いた点は評価するが、意欲の割には見終わった後に残るものがほとんどない。

希望に胸を膨らませて嫁いできて失望し、享楽と贅沢に自分の居場所を見いだそうとする彼女の苦悩はそれなりには胸を打つ。王弟の方に先に子供が生まれ、夫との上辺だけの夫婦生活に涙する。理解のない周りの視線と求められる責任。
どんどん変わっていく彼女の悲しみを理屈では理解ができても、しかしその彼女の本当の思いは?となると、あえて描かなかったのではないかと勘ぐりたくなるほどなにも語らず、不満が残る。

これこれこういうことがあり、彼女は悲しみました。
こんなことがあって彼女は喜びました。
そしてそれからこんなことがありました。

例えて言えば、どこかの家庭の記録ビデオを延々と見せられているような感じ。


歴史的に有名な人物、デュバリー夫人、ポリニャック夫人、そして取り巻きの人々もほとんど判別不可能。衣装のせいもあるが、ただ周りをうごめくその他大勢に血の通った人間味は感じない。
ヴェルサイユという不気味な場所を描くにはある意味効果的であったのかもしれないが、どうも食い足りない思いが残る。有名なバルコニーの場面も演出的に「?」だし、あの『首飾り事件』がまるで描かれない理由も解せない。


この映画の通りだったとして、彼女の人生はなんだったのだろう?


私たちが知っているアントワネットは革命側が作り上げた虚像であり、有名な「パンがなければお菓子を食べればいい」という言葉も真実ではないという説もある。もしも未熟な若さで王妃にさえなっていなければ歴史とは違った結果になったかもしれない彼女の”真の姿”。
キルスティン・ダンストの好演、ゴージャスな衣装の数々に本物のヴェルサイユ宮殿でのロケ、思いがけずマッチするポップな音楽と観ていて楽しい部分も多いけれど、ドラマとしてみるとイマイチの感は否めないと思う。


ただひとつだけ、思ったこともある。

孤独に強い人間はいても孤独に勝てる人間はいない。イジメが辛いのも異なる文化の中に存在

することが苦しいのも、それは果てしない「自分は一人きりだ」という思いに捉えられてしまうから。自分の価値を見いだせなくなるのだ。
どんなものでもその穴は埋まらない。埋めてくれるのは自分を必要として愛してくれる唯一無二の存在だけ。
一国の王女として生まれながらになにもかもを持っていた彼女が、政治的な犠牲となり果てしない孤独の中で壊れていくさまを、その一点のみを描きたかったのだとしたら、この作品は成功していると言えるのかも知れない。

2006-12-04

仏像 - 一木にこめられた祈り -

白洲正子氏の著作にいろんな意味ではまってから見たいと思っていたもののひとつ「国宝 十一面観音菩薩立像」。
それ以外にも国宝級がわんさかのなかなか見応えのある展示会でありました。


昔だったら仏像なんてわざわざ見に行っただろうかと思うと、自分でもちょっと可笑しい。
人間もいつまでも変化していくものらしい。(間違っても老化ではない)


念願叶ってお目もじ叶った十一面観音菩薩立像は、いい意味で想像以上にエロティック。圧倒的なパワーである。並みいる文化人達が惹かれたというのも納得できてしまう。
私は仏像というものの魅力は、ある意味色気に負うところが多いと思っている。ただただ美しく清らかな存在ではなく、様々な汚いものを包括して飲み込んだ深みというか底の知れなさに対する畏怖と興味。
そのあたりは恋とも似ているかも知れない。


芸術は清濁併せ持つからこそ魅力を備える。
たぶんそれを一番表しているのが宗教美術というものではないだろうか。



変化と言えば、もう一つ自分でも不思議でおかしかったこと。
今回は国宝級のいわゆる”美術品”の他にも、江戸時代の二大仏師「円空」「木喰」の作品がたくさん展示されていたのだが、今回は妙に円空の作品が心に残った。
どこかアフリカの美術品にも通じるような伸びやかなパワーにあふれたモダンで力強い円空の作品と毒を含んだようなブラックユーモア的な木喰の作品。
以前の私ならば文句なく木喰の方に軍配をあげただろうと思われるのに。

おまけにいつの間にか円空について知りたいと、あちこちネットで検索したりしている自分がいるのだからさらにびっくりする。
何て単純な自分。(笑)



これだから本物を見て感じる、ということはやめられないのだろうなー。
自分では見えてない自分に新たに出会えるということだから。


 
2006-12-04

今月の映画 「椿山課長の七日間」


映画椿山課長の七日間-1



映画椿山課長の七日間-2


デパートに勤務する椿山課長はバーゲンで大忙しの中、倒れて突然死してしまう。そんな彼が目を覚ました場所は天国と地獄の中間に位置する“中陰役所”だった。ここでは「天国行き」か「地獄行き」かの審判を下されるのだが、自分の死に納得がいかず、かつ戻る事情があると判断された者は、3日間だけ現世に戻ることが許される。突然死した椿山は、現世への“逆送”を希望。戻ってきた椿山はなぜか若い美女の姿で・・・・。


はっきり言ってごめんなさい、である。

伊藤美咲は同姓から見てもとびきり美しいのは今更言うまでもないが、演技はもうひとつだと思っていた。
どうしてどうしてなかなか健闘している。
さすがに上手いとは言わない。しかし、体当たりの演技にはかなり好感が持てる。


根本的に奇想天外なストーリーだから、物語のつじつまなどは気にするだけ無駄。このおとぎ話をとにかく最後まで”見せきる”ためには、彼女演じる椿があくまで「中年男が間違って美女になった」ということが自然に納得できるかどうか、この一点につきる。
ここにこの映画が成功するか否かの分かれ目なのである。
例えがに股で歩き、オレという言葉遣いをしてもそれが身についていなければ駄目なのである。「ただがさつなだけのおとこ女」では全てがぶちこわし。

口でいうのは簡単だが、なかなか難しい役だ。


もう一度言う。ものすごく上手いとは言わないがかなり健闘している。
外見は美女なのに、中身は人のいいオジサンという強烈キャラを演じたコメディエンヌぶりは下手な薄幸の美女役より向いているのでは。


もう一人の主人公(?)であるやくざの親分も同じこと。彼の場合も「やくざの親分」の風格が漂わなければいけないわけで、間違っても「若いのに粋がっているちんぴら」に見えては全てがぶちこわしである。
貫禄と一言でいうが、視線、態度、その他、どこがどうほころんでも見苦しい難しい役だ。
その点、成宮寛貴の演技は見事。私が最初に彼の演技を見たのは映画「NANA」だったが、あの忠犬ハチ公のようなノブと同一人物が演じているとは思えない”中年男の貫禄”。あのカリスマ的な視線の強さとあまりに自然なやくざな身のこなし(笑)と言ったらどうだろう。
こちらに関しては文句のつけようはない。
とびきりの美声年であることは間違いないが、それに加えてこの演技力はある意味末恐ろしいかも。(笑)


子役二人にしても(花田少年史のペアですな。あ、あの作品だとトリオか)脇役にしても芸達者を揃えていて安心して見られるおとぎ話。
中身が中身だけに家族連れはいまいちお勧めしかねるが、ほっこりした気分になりたいときにはお勧めできる良作だと思う。正直な話、なかなかの拾いものでした。




浅田次郎の作品は、どちらかというとどこか苦さが伴う。隠された事実、知らなかったことが次々に明らかになり、けして全ての人間が清廉潔白ではなく、むしろどろどろした感情と自分勝手な欲望で生きている。
椿山課長は結果的に妻の罪を許した。息子も母と実の親の罪を許した。もしも生きていた時ならばとても受け入れられなかったことだろうにもかかわらず。
けれども、死んだ人間にできることは残された人々を愛することであり、残された人間にできることは生き続けていくことでしかない。それをシンプルに見せてくれる浅田作品だからこそ、どこか割り切れない思いを残しながらも見終わった後にすがすがしい余韻を残すのかも知れない。

2006-12-01

足袋を作る

とうとう自作の足袋作りにまで手を出してしまいました。



とはいえ、本で見てももうひとつ分からないので、あるコミュニティで開催された「足袋作り教室」に参加してきたのですが。


2006-12-01-1 2006-12-01-2
指導がよいのもありますが、結構いい感じでしょ?
思ったより綺麗にできて余は満足じゃ!ふっふっふ。



・・・・・・・・しかし説明を聞きながら作ったとはいえ、片足だけで4時間・・・。
結局、今日は左足用のみでtime up(泣)


両足が見事揃う日は一体いつのになるのやら。
ああ、道のりは遠いぞ。


プロフィール

hijiri

Author:hijiri
長年のITまみれな生活を経て、着物と煙管、和文化と美しいもの、酒と美食(B級)をこよなく愛する生活。
■日本の文化と”今”をつなぐ再実感マガジンJapaaanでライターやってます。
http://mag.japaaan.com/
■cafeglobe読者エディター、やらせて頂いてます。
http://www.cafeglobe.com/2013/06/030174cafeglobe_readers.html
■ミラーサイトはこちら http://ameblo.jp/hijiri-info

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