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2007-03-31

新国立美術館 「異邦人たちのパリ」


「異邦人たちのパリ 1900-2005」/


新国立美術館01


新国立美術館02

気が付いたら頂いたチケットの期日が今日!
慌てて、話題の六本木は「新国立美術館」へ行ってきました(笑)


美の都パリで自分というものを確立しようとした芸術家達の系譜。
シャガールやピカソや、今ではそうそうたる地位を確立したアーティスト達がギラギラと模索していた時期の作品、そのエネルギーを堪能できる展示会です。



絵などの作品もとてもいいのですが、特にこの展示会で印象的なのがモノクロの写真群。
写真機が(あえてカメラとは言いません(笑))、まだ”魔法の箱”だった時代。今のように瞬間で時間を止めることができなかった時代の丁寧な作業のなんと素晴らしいことか。
昔、モノクロ写真をやっていたので特にそう思うのかも知れないけど、これだけの”作品”を”作り込む”ために費やした時間が想像できるだけに、その贅沢さと写し込まれた世界の貴重さに感動さえ覚えます。
印画紙に焼き付けられる瞬間の職人芸は、今の時代では既に過去のモノであるだけに引き込まれるのかも知れません。


完成したモノは誰にでも安心感を与えます。
その価値はもちろん無視することはできないけれど、そこへ至るまでの「若さ」故のエネルギー故の「未完成さ」を楽しめる豪華な展覧会でした。



青山霊園の桜

青山霊園の桜はまさに今が満開(^^)



ハンバーガー

BLT

近くのダイナーのハンバーガーやBLT(サンドイッチ)は、どこかアメリカの味w。
これも費やした時間の丁寧さを感じられる味です。




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2007-03-23

今月の映画 「さくらん」


映画 さくらん_1


映画 さくらん_2



吉原の玉菊屋に連れてこられた8歳の少女。きよ葉と名付けられた彼女は、高級花魁・粧ひに面倒を見られることになった。玉菊屋から脱走を図り続けるきよ葉だったが、粧ひに導かれ吉原一の花魁を目指す事を決意する。やがて17歳となったきよ葉は、美貌と鼻っ柱の強さで一躍江戸中の注目を集める存在に。そんなきよ葉は、お客として来たうぶな青年・惣次郎と初めての恋に落ちるのだが・・・・。


「めちゃくちゃエロいらしいよ~」


この映画を観にいくと言うと、数人に言われた言葉。
まあ、遊郭のお話なんだから、そりゃそうでしょうとは思っていたし、実際”そういうシーン”は満載なんだけど。


思ったほどエロくない。
いや、色っぽいことは色っぽい。だけど、いやらしくはない。


目の覚めるような色彩のモダンな画面に、モダンな着物の美女たちが動き回る。
普通は畳でしょー、と思わなくはないが(笑)、ブルーの床の上に敷かれた赤い布団のなんとまあ映えること。アジア風のモダンな生け花が床の間にしっくりとはまっている。
キッチュでカラフルな写真で大人気のカメラマンである監督の真骨頂というところだ。


だからこそなのだろう、これでもかといわんばかりの数(笑)の”おっぱい”が次々と大写しになっても、それはあくまで被写体として、または物体としてしか目に入らない。女性監督ならではだろう。



主役きよ葉(日暮)役の土屋アンナをはじめ、女性陣の熱演が印象的だ。高級花魁演じる二人、菅野美穂の美しさと高慢さはため息が出るほどだし(まったく同じ性別とは思いたくないよなあ)、木村佳乃の熱い想いは見ているこっちまで切なくなってくる。
翻って男性陣の静かな演技もいい。ご隠居のいやらしさもいいし、大人な武士役の椎名桔平、純な笑顔がたまらない純情ぶりっこの若ダンナ惣次郎役の成宮寛貴、自分勝手な絵師役の永瀬正敏、いずれも見て美しく、動いて美しい。ずるくて魅力的な男達。
この手の作品は、女性がメインなだけに相手役の魅力があるかどうかで納得度が違うが、そこのあたりは高水準でクリアしている。特に、なんといっても安藤政信演じる清次。きよ葉を見守る視線に込めた想いは色気以外の何者でもない。



唯一、残念だったのが衣装やセットではなく、人物像の時代考証に無理があったように思えること。あの頃の武士はよっぽど特殊な例でなければ”お大尽”にはなれない。将軍の落とし種くらいの人物ならばともかく、いくら上位の武士であっても内情は貧乏、とても吉原を貸しきるだけの経済力はないはずだ。
いくら惚れた女の為とはいえ、誰だって無い袖は振れない。作り物の夢物語だとはいえ、人々の感情が本物ならば、そんなところにも納得度が欲しかったかな。



満開の桜の木の下を歩く二人。駆け落ちともとれるし、その後やっぱり戻ったようにも取れる意味深なラスト。
人によって違うだろうが、私はなんだか彼らは一瞬の”ソトノセカイ”の空気を吸ったら、戻っていったように思えてしまう。


熱情はいつかは冷める。
手に届かない月に恋いこがれるように。


水槽の中でひらひらと泳ぐ金魚がその中でしか生きられないように、彼らも”ソノセカイ”でしかきっと生きていけない。
そして、そんなことを知らないはずのない”したたかな”彼らなのだから。







2007-03-21

今月の映画 「ママの遺したラヴソング」


映画 ママの遺したラヴソング

フロリダで怠惰な生活を送るパーシーに、長年会っていなかった母の訃報が届く。ニューオーリンズの生家に帰ったパーシーを待っていたのは、見知らぬ二人の男。元文学部教授のボビー・ロングと彼を慕う作家志望の青年ローソン。古ぼけた一軒家で、嫌々ながらの同居生活が始まる。新しい生活、文学との出会い、初恋、そして初めて聞く亡き母の横顔。ささくれだっていたパーシーの心は、いつか少しづつ癒されていく。そしてある日、母が自分に宛てた一通の手紙を発見する・・・・。


ちぐはぐな三人の不思議な同居と、少しずつ寄り添っていく心と心。
生きることに挫折した人間の再生の物語として見れば、見応えのある映画。


彼らが果たして全て知っていたのか、街の人々の思わせぶりな態度はなぜだったのか、色々な部分が語られないままなので見終わった後にすっきりしないものは確かに残る。たぶん彼らの心の中のベーシックとして存在する”ママ”がくっきりした輪郭を持っていないことも、消化不良感に一役買っているのも否めないだろう。
生活感がない(どうやって生活費を稼いでいるのか?)ところにしても、ご都合主義という風に見えなくもない。
ボビーのセクハラすれすれの態度と言動は、はっきり言って見ているのも苦痛だし、以心伝心が基本の日本人文化では理解の範疇を越えているのではないだろうか。

それでも生きることに不器用な彼らがだんだんに寄り添い、穏やかな生活を紡いでいく姿は、見ているこちらも幸せな気分にさせてくれる。
ラスト近くのダンスシーンで泣けない人間はそうはいないのではないだろうか。



一人ぼっちと思っていても、周りを見渡してみれば実はそうでないことは多い。
パーシーにしてもボビーにしても、自分を”孤独”にしていたのはその自分自身の頑なさなのだ。



不器用な少女パーシーを演じたスカーレット・ヨハンソンも好演しているが、なんといってもだらしない落伍者ボビーを演じたジョン・トラボルタの演技が素晴らしい。ぶよぶよの体にいつも酔っぱらっているような下品な言動の中に感じられる知性と優しさ。そしてずるさ。今までのイメージを覆すような新境地である。
もう一人の同居人ローソンを演じたゲイブリエル・マックの美声年さと繊細さもいい。宣伝ではほとんど取り上げられてはいないけれども、彼の存在なくしては特にパーシーの若すぎるがゆえのあやうさを浮き彫りにすることはできなかったに違いない。


日本の宣伝では、スカーレット・ヨハンソン演じるパーシーばかりフィーチャーされていたので、実際に映画を観るまでは私もこれは少女の成長物語だと思っていた。
しかし、これはどう見ても「ボビー」という、生きることにつまずいた人間の再生の物語である。

「a Love Song for Bobby Long」 ・・・ボビーへのラヴソング。
原題で語られているように、ボビーという自堕落で魅力的なオトコの存在が、きっと全てを変えていったのだろう。きっと”ママ”にしてもそうだったに違いないし、だからこそ娘に遺した一番の贈り物だったのだ。



なんか疲れたな、という時に観ると、少し元気になれそうな映画です。







それにしても、スカーレット・ヨハンソンって確か二十歳くらいのはずだけど・・・・どう見ても17歳には見えないぞ。(笑)








2007-03-18

久しぶりに茶杓を削る

真ML茶の湯Communityで定期的に開催されている茶杓削りオフ会に参加。
早いもので、もう四回目のベテラン・・・のはずなんだけど。(爆)


20070318茶杓01


20070318茶杓02



今回はちょっとグラマラスな感じになってしまったけど、念願の”ざっくり太め”に仕上がって満足ですw。



さて、これのデビューはいつかなあ??



2007-03-11

今月の映画 「アルゼンチンババア」


映画 アルゼンチンババア


仲の良かった3人家族。イルカの島で過ごした楽しい想い出を残し、大好きだった母が死んだ。母を愛し、仕事一筋だった墓石彫りの父はなぜかその日に限って病院に顔を出さず、突然、姿を消してしまった! 半年後、父は変わり者の女の人の屋敷で発見された。そこは広い草原にぽつんと佇む小さな田舎町のなかの異国。昔はタンゴやスペイン語を教えていたらしいが、今はちょっと頭がおかしくなって怪しい呪文を唱えているとみんなが噂する謎の“アルゼンチンババア”。母親の供養もほったらかして、どうして父がそんな人のもとに?! 一人娘のみつこは勇気を奮い起こし、父親奪還に向かうのだが・・・・。



映画の大スクリーンでアップで耐えられるババアなんぞいないってば。



どんなに珍妙なメイクをしても、白髪がふさふさでも、思わず「綺麗・・・(ほぅ)」とつぶやいてしまうというところで、既に配役ミスである。(笑)
いくら周りが「あの歳で」だの「変人」とか言い続けようが、実際に綺麗で上品なんだから実感しようってのが無理。


どっちかというと、



あのメイクと格好をして綺麗と思わせる鈴木京香はすごい、と言うべきである。




その点だけ目をつぶれば、映画としてはなかなか面白い。いわゆる大人のおとぎ話としては好き嫌いは分かれるとは思うけれども、コメディとしてみればかなり笑わせてくれる。

郵便屋さんも鰻屋も酒屋も子供の頃からの幼なじみ、顔見知りでない人間などほとんどいないような田舎の小さな町。町外れの荒れ果てた屋敷とそこに住む得体の知れない女。考えてみたらものすごく狭い範囲の物語。

そんな近距離で失踪した父親も情けないが、そんなところにいるのは不幸だと言わんばかりの態度の”大人達”のドタバタが面白い。特に叔母=父親の妹の気合いの入り方が最高である。大人になれない大人の代表格とでも言おうか。


そんな彼らと、一人で父親を取り戻そうとするみちこの奮闘ぶりと妙な礼儀正しさのコントラストがこの映画の一番の見所だろう。



この映画でもうひとつトピックスをあげるなら、”

手が印象的な映画である。



石を刻む手。

パン種をこねる手。

作業シーンは出てこないけれども、細かく手の込んだ刺繍がされたおむつが、洗濯ロープに翻る様には、暖かい空気が漂う。

そんな”手をかけた”感が画面の隅々にまで漂うから、うそ臭い物語が嫌みにならない。



生活の価値というのは、いかに手をかけるか、だと思う。

手をかければいい、ってのではないけれど、手をかければ見違えるようになるモノが日常というものだ。

こだわりすぎもよくないし、そのあたりのバランスは結構難しいことではあるけど、この映画ではうまいところに収まっているように見える。だから奇妙なものが妙にしっくり見える気がするのだろう。



「ALWAYS 三丁目の夕日」でけなげで元気な少女を演じた堀北真希が、さらに演技力を増した感じで光っている。上に書いたように綺麗すぎる鈴木京香嬢は別の意味で評価しにくいが(笑)、普通なら嫌みにしかならないだろう女性を淡々と演じて好感度大だし、情けなさが妙に魅力な父親役の役所広司のダメっぷりも最高である。(この人、ホントこういう役をするとはまるよね)

新人くんの今時高校生の従兄弟もいいし、何でも人のせい、的な叔母像なんてリアル過ぎて笑える。

個性的な町の人々も誰もが印象的で添え物的な感じがないのは素晴らしい。




”大人達”は「全ては彼女=ユリのせい」的な視点なのに、みちこの逃げた父親のせいだとどこかで知っているような態度は妙にすがすがしさを感じさせる。アルゼンチンババアことユリに対する態度のノーマルさ。
叔母が見せる彼女をまるで悪者扱いにしてやり放題(そのくせ納得すると態度が180度変わるところがかわいく現実的な女性だ)なのに比べると、恐ろしいほどの自制心と大人ぶり。

それがどこかさわやかで哀しい余韻を残す。


きっと彼女もアルゼンチンババアのように、優しく哀しい大人になるのだろう。

いろんなものを抱えて消化して、けして言い訳はしない大人に。



プロフィール

hijiri

Author:hijiri
長年のITまみれな生活を経て、着物と煙管、和文化と美しいもの、酒と美食(B級)をこよなく愛する生活。
■日本の文化と”今”をつなぐ再実感マガジンJapaaanでライターやってます。
http://mag.japaaan.com/
■cafeglobe読者エディター、やらせて頂いてます。
http://www.cafeglobe.com/2013/06/030174cafeglobe_readers.html
■ミラーサイトはこちら http://ameblo.jp/hijiri-info

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