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2006-12-06

今月の映画 「マリー・アントワネット」


映画マリー・アントワネット-1


映画マリー・アントワネット-2

オーストリア皇女マリーは、14歳にしてフランス王大子ルイ16世の元へ嫁ぐことになった。結婚生活に胸を膨らませて嫁いできた彼女を待ち受けていたのは、上辺だけ取り繕ったベルサイユ宮殿の人々と、愛情のない夫婦生活。ルイは必要な事以外はマリーと口もきかず、同じベッドに寝ていても、指一本触れない。愛情深く育ったマリーだったが、悪意溢れる噂に傷つき、やがて贅沢なドレスやパーティーに心の安らぎを求めるようになるのだが・・・。


よくも悪くもソフィア・コッポラらしい映画である。

十代で異国に嫁ぎそのままフランス王国の王妃になってしまったアントワネット。彼女の孤独はよく感じられるし、史実にあるような”王妃”でなく、等身大の”マリー”という少女を描いた点は評価するが、意欲の割には見終わった後に残るものがほとんどない。

希望に胸を膨らませて嫁いできて失望し、享楽と贅沢に自分の居場所を見いだそうとする彼女の苦悩はそれなりには胸を打つ。王弟の方に先に子供が生まれ、夫との上辺だけの夫婦生活に涙する。理解のない周りの視線と求められる責任。
どんどん変わっていく彼女の悲しみを理屈では理解ができても、しかしその彼女の本当の思いは?となると、あえて描かなかったのではないかと勘ぐりたくなるほどなにも語らず、不満が残る。

これこれこういうことがあり、彼女は悲しみました。
こんなことがあって彼女は喜びました。
そしてそれからこんなことがありました。

例えて言えば、どこかの家庭の記録ビデオを延々と見せられているような感じ。


歴史的に有名な人物、デュバリー夫人、ポリニャック夫人、そして取り巻きの人々もほとんど判別不可能。衣装のせいもあるが、ただ周りをうごめくその他大勢に血の通った人間味は感じない。
ヴェルサイユという不気味な場所を描くにはある意味効果的であったのかもしれないが、どうも食い足りない思いが残る。有名なバルコニーの場面も演出的に「?」だし、あの『首飾り事件』がまるで描かれない理由も解せない。


この映画の通りだったとして、彼女の人生はなんだったのだろう?


私たちが知っているアントワネットは革命側が作り上げた虚像であり、有名な「パンがなければお菓子を食べればいい」という言葉も真実ではないという説もある。もしも未熟な若さで王妃にさえなっていなければ歴史とは違った結果になったかもしれない彼女の”真の姿”。
キルスティン・ダンストの好演、ゴージャスな衣装の数々に本物のヴェルサイユ宮殿でのロケ、思いがけずマッチするポップな音楽と観ていて楽しい部分も多いけれど、ドラマとしてみるとイマイチの感は否めないと思う。


ただひとつだけ、思ったこともある。

孤独に強い人間はいても孤独に勝てる人間はいない。イジメが辛いのも異なる文化の中に存在

することが苦しいのも、それは果てしない「自分は一人きりだ」という思いに捉えられてしまうから。自分の価値を見いだせなくなるのだ。
どんなものでもその穴は埋まらない。埋めてくれるのは自分を必要として愛してくれる唯一無二の存在だけ。
一国の王女として生まれながらになにもかもを持っていた彼女が、政治的な犠牲となり果てしない孤独の中で壊れていくさまを、その一点のみを描きたかったのだとしたら、この作品は成功していると言えるのかも知れない。

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プロフィール

hijiri

Author:hijiri
長年のITまみれな生活を経て、着物と煙管、和文化と美しいもの、酒と美食(B級)をこよなく愛する生活。
■日本の文化と”今”をつなぐ再実感マガジンJapaaanでライターやってます。
http://mag.japaaan.com/
■cafeglobe読者エディター、やらせて頂いてます。
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■ミラーサイトはこちら http://ameblo.jp/hijiri-info

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