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2006-12-19

今月の映画 「大奥」


映画大奥-1

映画大奥-2


時は正徳二年、第七代将軍・家継の時代。御歳五歳という幼い将軍を巡って、江戸城では熾烈な権力争いが表面化しようとしていた。第六代将軍に取り立てられ家継の後見人として摂政の地位を占めた側用人・間部詮房。能役者からの出世という経歴とその振る舞いを快く思わない大老・井伊掃部頭直該を始め、他の老中たちとの醜い権力争いが表面化する中、大奥でも、先代将軍未亡人・天英院と若く美しい将軍生母・月光院との女の意地を賭けた闘いが繰り広げられていた。そんな混沌とした大奥に、月光院の推挙で早くも御年寄に昇格した絵島は、庶民出という経歴ながら聡明で月光院の信頼も厚く大奥での人気も高い。そのことが対立する天英院派の不満を募らせ、ついには月光院もろともけ落とそうとする陰謀の矛先となる・・・・。



日本最初の試写会である今回は出演者による舞台挨拶もあったのですが、主演の仲間由紀恵、 西島秀俊、井川遥、及川光博、杉田かおる、松下由樹、浅野ゆう子、高島礼子に主題歌を歌う倖田來未が揃い踏み、という豪華さです。


こういう場合は当然「仲間ちゃん、綺麗だったよ!」とか言いたいところなんですが、いつもの試写会のつもりでのんびりと出掛けたら二階席だったので、残念ながら


衣装も判別できないくらい豆粒でした。(爆)



映画の方も負けず劣らずゴージャス。
脇役も女性陣は言うに及ばず、男性陣でさえ藤田まことやら柳葉俊郎やら岸谷五郎やら、どの人をとってもピンで主演ドラマが作れちゃうぞ、なレベル。


膨大な制作費はほとんどが出演者のギャラじゃないか


と思わず勘ぐりたくなる素敵さです。


とはいえ、テレビシリーズの方もいい加減豪華な作りだったので、映画になってもそんなには印象が変わらないな(=女性って恐いもんだなあ)、と思いつつ見ていたのですが。


やられました。


最後の最後で泣いてしまいました。


だってー、あの最後にほほえむ新五郎はあまりに反則なんだもん!


新五郎役の西島秀俊さんという役者さんは、実はあんまり印象になくて、朝の漣ドラに出てた線の細い人、くらいだったんだけど、あんなに美形だったんですね。
私の最近の大プッシュ美青年は成宮君ですが、負けず劣らず綺麗です。美形歌舞伎役者という役柄も、まあちょっと男性的に過ぎるけど充分納得です。好みじゃないけどどきどきしましたもん。
ちょっと得体が知れなさすぎて絵島があれだけ惹かれる意味がもう一つわかりにくかったのが残念ですが、まあ好みはそれぞれだしその辺は深く追求しません。(苦笑)

仲間ちゃんも相変わらず美しい。私は彼女の美形さもですが、しゃべり方の上品さというか美しさがとても好きなので、今回のようなきりりとした知的な美女役はとても満足でしたw。



なんかつい豪華さに酔ってミーハーよりの感想になってしまったので、ここらでまともな感想をば。


女の怖さ、哀しさを描いたこの大奥シリーズ。随所にそれを感じさせるエピソードがあるが、私は天英院の手先として、いわゆる陰謀の実行犯である宮路が新五郎を誘惑しつつ身を翻し、けれども彼の楽屋で彼の羽織を見ながらためらうシーンが一番印象に残った。
すっかりワイドショー常連になったしまった杉田かおるだけど、十代の頃から培った演技はやはり確か。
察するにたぶん宮路も”男を知らない”女性だったのではないかと思うが、たった一度触れた男性という存在に大きく揺れてしまうところが大奥の悲劇というかとてもせつない。


天英院にしても月光院にしても、結果的には同じように情を通じた男性を自身の存在の支えにし、そしてそれらに翻弄されている。月光院が恋の病(笑)で寝込んでしまうところは現代の私達には理解はしがたいが(ってか、相手の名前をうわごとで呼びまくるってどうよ(笑))、若くして生きる屍としての生活を余儀なくされていた彼女たちにとっては、もしかして相手の男性がどうというより、自分を見て、感じて、底なしの孤独から一瞬でも救いあげてくれる存在が想像以上に『必要悪』だったのかもしれない。



舞台挨拶で仲間ちゃんだったか、高島さんだったら忘れたが、この作品には色々な要素が詰まっているので、どんな方にも必ず心に残るセリフがあると信じている、という挨拶があった。


私にとって心に残ったのは、最後で江島が月光院に言う

「たとえ一夜だけだったとしても、その後はもう余生と思える程の恋でございました」

というセリフである。(細部はうろ覚えなので突っ込まないで下さい(汗))


たぶんあの一夜、彼女たちは「愛してる」だの「好きだ」などとお互いの思いを確かめあることもなかったに違いないし、賢い絵島は新五郎が自分を陥れる為に接近しているのではと薄々感じていたくらいだったのだから、疑心暗鬼も大きかっただろう。
確かに言葉で確かめなくても、どこか目と目を合わせれば感じられる想いがあることは私にもわかる。けれども、下手したら”ゆきずり”といってもいいくらい淡く、不確かな逢瀬なのである。


それもたった一度の。


けれども絵島は彼の誠を信じたし、新五郎も彼女をかばい死刑になって潔しとした。
お互いもう二度と会わない相手と知っていたにも関わらず。
絵島は結果的には生き残ったけれども、想う人の最期をあのように見届けた後ではただ命長らえただけの屍だろうし、肉体と精神の違いはあれどもたったそれだけ逢瀬の為に”死んで”しまったことには変わりない。
死を引き替えに受け入れられる程に信じられる、自分自身の”想い”。


その後の人生を全て「おまけ」と思えるなんて、考えたら本当にすさまじい恋だ。


言葉が全てとは思わないし、確かに一度会っただけでも心に残ってしまう相手というのは存在する。主題歌のタイトルのように「運命」というには安易な気もするけれど、そんな”自分を信じられる”恋に巡り会ってしまった彼らは、上に書いたような”ささえのような恋”にすがる人々よりも、もしかして幸せだったのかもしれない。


激しい熱情よりも穏やかな想いの方が楽だし心地いい。そんなことはよく知ってるし今更揺るぎないけれど、それでもなんだかちょっと羨ましいような気もする。

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プロフィール

hijiri

Author:hijiri
長年のITまみれな生活を経て、着物と煙管、和文化と美しいもの、酒と美食(B級)をこよなく愛する生活。
■日本の文化と”今”をつなぐ再実感マガジンJapaaanでライターやってます。
http://mag.japaaan.com/
■cafeglobe読者エディター、やらせて頂いてます。
http://www.cafeglobe.com/2013/06/030174cafeglobe_readers.html
■ミラーサイトはこちら http://ameblo.jp/hijiri-info

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