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2010-02-27

今月の映画 「渇き」

サンヒョン神父は、人々を助けられない自分への無力感からアフリカの研究所で“死のウィルス”の実験台に志願する。発病し一度は死亡したサンヒョンだが、すぐに復活。奇跡と思われたが、彼の体には異変が起き始めていた。
聴覚や嗅覚が研ぎすまされ、太陽光を嫌い、人の血を求めるように。研究所の輸血の影響でバンパイアになっていたのだ。同じ頃、幼なじみのガンウの妻テジュとめぐり合う。急速にひかれあった2人は、背徳の関係に溺れていく。
やがて二人はテジュの願いを受けてガンウの殺害を計画し、それは成功したかに見えたのだが・・・。




バンパイアになった神父と人妻の背徳の愛。
センセーショナルなポスターの印象もあって想像していた「信仰に生きる神父が愛欲に溺れて堕ちていく」というようなイメージは完全に裏切られた。


これは完璧なコメディだ。
それも、笑わすためのものではない。人間という生き物の滑稽さと必死さをあらわした「喜劇」だ。




神父として人のために生きてきたサンヒョンは、自分がバンパイアになってしまったことで、今までの価値観から見たら「悪」でしかなくなってしまった自分をもてあまし、その落差に耐えられずに壊れていく。
キリスト教などの一神教の信者に多いように思うが、すがるものがある人は強いが、それを失ったときの壊れっぷりには目を覆うものがある。
信仰という名の杖を寄りどころに生きるというのはそういうものなのかもしれないが、だからこそテジュに溺れていく彼の姿は非常に説得力があった。

そして、最初は気の毒で抑圧された人妻と思われたテジュは、サンヒョンとの関係を経て見事な変貌を遂げる。
実は自己中心で貞淑さのかけらもない、ある意味ビッチな女なのだが、どこか垣間見えるイノセントさがあどけない外見とともに強力な魅力となっている。
たぶん、彼女は義理の母に食事など必要なものは与えられ体は育てられたかも知れないが、人間として心を育てててはもらえなかったのだろう。その生きる生命力みたいなものと徐々についていく自信が彼女を魅力的に見せていたのではないだろうか。

彼女が言う「私は彼ら親子の犬として生きてきた」というのは、サンヒョンがとった意味とは違ってはいたが(その勘違いのせいで彼は殺人まで起こすことになるわけだが)うそではなく彼女は本当のことを言っていたともいえる。
彼女はまだ人にはなっていなかったのだ。

最後の最後のシーンでの彼女の行動は、彼女は彼女なりにサンヒョンを愛していたということがよくわかる、滑稽で泣けるシーンだ。


精神世界を主軸として生きてきたサンヒョンと本能的に感覚で生きてきたテジュ。
彼らの食い違いとそれぞれ生きるため、欲望のために起こす必死の行動がこの映画のメインテーマであり、人間という愚かで愛しい存在に対する監督のやさしい視線ではないかと思う。


グロいシーンも多くあり、万人に薦められる映画ではないが、笑わせて笑わせて最後の最後にせつない愛情に泣ける、愚かで純粋な愛の物語は、パク・チャヌク監督のバイオレンスな作風に耐えられる人には是非。





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1. 狂気の世界…

パクチャヌクの暴力的な世界は、私が同じ日に観たヘルツォークの「バッド・ルーテナント」の世界とある意味同じような気がしました。ハリウッドとは逆行して突っ走る二人の演出力が冴えまくりでした。
プロフィール

hijiri

Author:hijiri
長年のITまみれな生活を経て、着物と煙管、和文化と美しいもの、酒と美食(B級)をこよなく愛する生活。
■日本の文化と”今”をつなぐ再実感マガジンJapaaanでライターやってます。
http://mag.japaaan.com/
■cafeglobe読者エディター、やらせて頂いてます。
http://www.cafeglobe.com/2013/06/030174cafeglobe_readers.html
■ミラーサイトはこちら http://ameblo.jp/hijiri-info

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